日本一周自転車旅行 秋田県、新潟県
さあ内地だ!




デコボコの7号線

・昭和39年8月9日

・宿泊地ー下川沿中学校
・走行距離ー100キロ
・使用金額ー337円
・天気ー晴れ

さあ内地だ。船から船酔いのためフラフラで下りて、港をうろうろしていたら、8時頃になってしまう。ねぶた祭りの大きな張りぼての人形を倉庫の中に置いてある。でも誰もいないみたいだ。北海道に行くとき世話になった食堂に行き、約束どうり「無事に帰りました」と報告する。店に人が喜んで、又ご飯を食べさせてくれる。しかも今度は二人でだ。あつかましいけどご馳走になる。「風邪気味だ」というと、風邪薬を出してくれたので、さっそく呑ませて貰う。薬のせいか夕方までにほとんど治ったようだ。連れが出来たせいか、それとも内地に帰り着いたせいか、なんだか自分が図々しくなったみたいで落ち着かない。まるで、俺の内地だ、と言う気がして、道ばたの林檎やトマトを取って食べる。もちろん木に断るだけで、作っている人には内緒だ。


八郎潟のたんぼ

大館市の中学校に宿泊をお願いすると、快く先生が引き受けてくれる。これで今日は安心だ。二人でさっそく自炊の用意をする。卵、米を買ってきて、久しぶりに豪華な夕食になった。みそ汁まで作る。そのうまかったこと。今日は実に良い1日だった。

秋田県大館市 下川沿中学校 佐藤 次男さん
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本敬寺に泊まり会わせた人たちと

・昭和39年8月10日

・宿泊地ー本敬寺
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー104円
・天気ー晴れ

今日はついてない一日であった。道を間違えてしまい、連れともはぐれてしまう。さよならも言わずに別れるのは心が痛む。元気で目的を達して欲しいと思う。飯ごうに穴を開けてしまう。自転車にくくりつけてガタガタ道を毎日走っていたもんで、同じところが傷んで穴が開いてしまった。えらい損や。

秋田市内で肉屋のボーイだという兄ちゃんが「泊めてやるから」と言うので、金魚の糞みたいに後をついて回る。 店に行くとソーダーを飲ませて貰って、今日は良かったと思っていると、冷たく「帰れ」と言われる。まるで体の力が抜けていくのが分かるぐらいにガッカリする。ずいぶん時間も損をした。でもしかたないので、ふんばって走り出す。


最新式の自動車?

市外の下浜まで来て、学校に「泊めて欲しい」と頼みに行くと、俺みたいな旅行者ばかり世話している寺があるからと、本敬寺を教えて貰う。さっそく訪ねると、なるほど俺みたいな汚いのが6人ほどいる。ユネスコの人達が他に10人ほど 庭でゴロゴロしている。さっそく泊めて欲しいとお願いする。快くと言うか、あっさりと泊めてもらえることになる。本堂に3人ほど座らされて、長い説教の末、毛筆で住所と名前を書かされる。今頃の若い者は筆の字が下手だと又説教される。が、泊めてもらえることになって嬉しい。それにしてもこの寺は、毎日こんなに旅行者が来るそうで、ご飯をただで食べさせるだけでも大変だ。説教ぐらい安いもんだ。

この寺の息子達は、およそ寺とは会わない男だ。庭でツイストなんかを踊りながらワイワイ騒いでいる。単車で来ていた男なんかユネスコの可愛い女の子の前で自分の苦労話をオーバー話している。えらそうに話しているので、俺はあまり楽しくない1泊であった。しかし俺も女の子の住所を書いて貰ったんだから同じようなもんか。

秋田市下浜 本敬寺
秋田市川尻 近藤 さん
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農協の倉庫で寝る。
ヘルメットが枕代わり

・昭和39年8月11日

・宿泊地ー鶴岡農協車庫
・走行距離ー123キロ
・使用金額ー157円
・天気ー快晴

イヤイヤこの暑さはどうだろう。ほんの2、3日前まで寒さに震えていたのが嘘みたいだ。寒いに比べたら暑い方がどれだけ良いか。曲線美の素晴らしい新しいアスファルト道路が続く。その上を風と共に我愛車と突っ走る。右に青々と澄んだ日本海、左手は、今でも雪の残る鳥海山(2230メートル)を望み、実に気持ちよく走る。このいい気分は、今までツライ目に遭ってきた俺にしか分からないだろうな。こんなに快適に走ると心までウキウキして、ここまで頑張って良かったと心より思う。うまく書けないのが悲しいくらいだ。


利根川(藤田君と)

でも国道7号線は新しいアスファルト道路以外は昔のガタガタ道で、次の村まで行くにもジープかなんかじゃないと自動車の腹がつかえてしまい走れそうにない。それに狭い。国道なんてとても恥ずかしくて言えない道路だ。

途中で東京から来た藤田君と一緒になる。話すうちに気が合い、足も軽くなり、グングン距離が伸びる。「悪いと思いながら取ったスイカやトマトが力をつけてくれたんかなあ」などと笑いながら二人で気持ちよく走る。屋根だけがあるコンクリートの真新しい土間に寝かせて貰うことが出来る。農協の車庫らしい。近所の人が家に来て寝なさいと、わざわざ言いに来てくれるが、ここの方が遠慮しなくて気持ちいいからと二人で有り難く辞退をする。今日はとても有意義な一日であった。藤田君有難う。

東京都足立区 藤田 哲中君
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矢田さん宅(藤田君)

・昭和39年8月12日

・宿泊地ー新潟(矢田さん)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー332円
・天気ー快晴

道は相変わらず悪い。藤田君と仲良く二人でばててしまう。新潟県に入り二人でお百姓さんがかぶる傘を買う。140円。さっそくかぶって気を取り直して走る。村上市までの約40キロを車に乗せて貰う。

その車で寝てしまったらしい。神社の前で下ろされ、まだ早いけど二人で今日はここで寝ようということにして、ひさしを借りて寝ていると、何だか周りが騒がしくて目が覚める。村の人達が大勢集まっていて、「ここで寝られたら困る」「早くどっかに行ってくれ」と大変叱られる。なんでも近くの神社では、乞食の火の不始末から、その神社が全焼したらしい。俺たちが黙って寝ていたのも悪いけど、何人もの人が寄ってたかってタバコも吸わない俺たちを、あんなに怒って追い出すこともないだろうと、少し腹も立つ。しかたないので、疲れた体にむち打って走り出す。食堂があったので二人で焼け食いをする。肉丼を食べたら急にもったいなくなり、気持ちが落ち着く。「女の子みたいだな」なんて話ながら、俺たちが村人ならやはり同じように追い出したやろね、と話し合う。又寝るところを探しながら二人で走る。


矢田さんのおにぎりを食べる

川原で良いところが見つかり、すっかり安心して良い気分で寝る用意をする。近所に住む矢田さんが来て「家に泊まりなさい」と言ってくれる。「俺達汚いし、ここは寝るには丁度良いから」と、ありがたく辞退する。それでも「誰も遠慮する人なんかないから」とすすめてくれるので、お言葉に甘えてお邪魔する。久しぶりに風呂に入れて貰い、もううれしくてうれしくて、体が軽くなる。

新潟県岸船郡 矢田フサ〔ヒロ子)

フサさんは何年か後に亡くなられました。ご冥福をお祈りします。

俺にとって良い人がこの世から亡くなるのはとても寂しい。次女の朝子さんは、俺にとっては今では本当の妹みたいになってしまった。

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地震で傾いたビル

・昭和39年8月13日

・宿泊地ー長岡(中山さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー93円
・天気ー晴

前の新潟地震で傾いたままのビルがあったので、気の毒だと思ったけど、記念写真を撮る。まだかなりのビルが傾いたり、橋が落ちたままになっている。道路もあっちこっちで盛り上がったり、割れて30cmほどの段になった所などもあり、何だか気持ち悪い。いつ又地割れが来るかもしれないなんておびえつつ、いかに大きな地震だったのかよく分かった。

途中で佐渡に行く藤田君と別れる。又ひとりぼっちだ。しかし何故か調子良い。藤田君も元気でやって下さい。

プライヤー工場を見学する。ぼくも鉄工所に勤めていると話すと、その工場の人は快く中を見せてくれて、丁寧に説明をしてくれた。良い勉強になった。気持ちも落ち着き余裕が出てきたようだ。今まではまるで走ることしか知らずにここまで来たけど、大阪に帰ったら又仕事をせんならんもんね。薄暗くなって、やっと長岡市に着く。この辺は冬にはずいぶん雪が積もるらしく、商店街の歩道の屋根までが、がっちりとこしらえてあり、ずいぶん暗い。これくらいじょうぶにしておかないと、雪が積もったら壊れてしまうそうだ。それに、店の入口まで埋まってしまうそうだ。


雪洞
雪のためにこんなに丈夫に

中山さん一家

信濃川の河原に行き、毛布をかぶって寝るが、「蚊」がひどく多くて、俺の腕めがけて急降下してきて、ブスリとくる。それも1匹や2匹じゃなく、腕に思いっきり力を入れて蚊の針を抜けなくして置いて、ひとこすりすると、15.6匹が潰れるほどだ。何回かそうして殺したが、きりがない。寝ることが出来ないので、駅前の交番に行き、「この駅は寝させてもらえないか」と聞くと、「ここはだめだ」と冷たい返事。「しかし親駅なら寝させてくれるかもしれん。」と言われたが、長岡駅までもどれとはちょっとひどいじゃないか。それに、もうそんな元気は今日は残っていない。

すぐ隣にダンプカーがあったので、持ち主に車の中で寝かせて欲しいと頼んだ。快くOKしてもらいよかった。「家の中に寝させてやりたいが、今日はお盆でお客が多く悪いね。」と言われて、こちらが恐縮する。「車の方が気が楽でいいですから」と、風呂に入れて貰って気持ちよく寝る。ここも「蚊」が多かったが、車の中の奴だけだから、さっきの空一杯のことを思えばしれたもんだ。今日ほど住宅のありがたさが身にしみたことはなかった。

新潟県長岡市 中山 房太郎 文子さん
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糸魚川市立第2中学校 左 渡辺先生 右 松江さん

・昭和39年8月14日

・宿泊地ー糸魚川市立第2中学校
・走行距離ー103キロ
・使用金額ー220円
・天気ー晴

6時に起きる。みそ汁の朝食をご馳走になる。おにぎりを作ってもらい、文子さんにお金を200円いただく。 「気を付けて行きなさいよ」と声をかけてもらい、元気に出発する。おおきに、中山さんに心より感謝します。

朝の調子は何処へやら、夕方には心も体もヘトヘトになってしまう。ひどいをとおりこして、恐いと言った方が良いような道だ。こんな思いは今日で辞めてすぐに汽車で帰って母ちゃんに甘えたい気持ちが頭をかすめる。そうすればどれだけ楽か。今日はお盆だ。田舎では何をしているだろう。手紙を書こう。

糸魚川で松江君に会う。どこか泊まるところを探そうと、糸魚川中学校に頼みに行く。二人一緒に泊めてもらえることになり、やっと落ち着く。7時過ぎていた。夜の散歩などして、やはり人間は二人、三人と多い方が心強いことを痛感する。この旅では、いっぱい友達が出来たなあとつくづく思う。みんな世話になった人ばかりだけどね。

新潟県糸魚川市 糸魚川市立第2中学校  渡辺 昭一さん
茨城県日立市  茨城大学寮内      松江 裕郎さん
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