日本一周自転車旅行 北海道(2)




阿寒湖の近くで


・昭和39年8月1日

・宿泊地ー道東石油ガソリンスタンド
・走行距離ー57キロ
・使用金額ー550円
・天気ー濃霧のち曇り

朝になっても寒くて寒くてやりきれん。長袖のセーターを2枚も着込んだのに、体の芯まで凍えふるえがどうしても止まらない。待ってみてもガスは消えず、アイヌの酋長と写真を撮り山を降りる。しかしせっかくの下り坂なのに風が冷たく自転車に乗ることが出来ない。しかたなく自転車を押してソロソロと道を下る。全く情けない話だ。屈斜路湖を見に行く。山の上はひどいガスなのに下は全然ガスなどなく、山の天気の気まぐれなこと。屈斜路湖と言えばロマンチックな響きがあるが、はたしてこの目で見たら、夢は見事に吹っ飛んでしまった。湖畔の農家で米を分けて貰い、頼みついでにガスを借りてご飯を炊かせて貰う。毎日雨ばかりで火がたけず、あつかましいけどついつい道沿いの家に迷惑をかけてしまう。しかし俺の行くところの人はみんな親切でいい人ばかりなので嬉しい。

カラーフィルムを買ったけど天気が悪く、もったいないので撮らんとこ。阿寒湖の手前20キロあたりで道東石油のくるまが「帯広まで行くので乗せていってあげよう」と止めてくれる。せっかくなので乗せて貰う。途中又ひどいガスになる。しかし車の中は暖かくて楽だ。わざわざ阿寒湖を見物に寄ってくれる。マリモを初めて見る。何と美しい玉だろう!ガスと阿寒湖そしてマリモ、「美しい」なんて言葉でかたずけたら、神様に怒られそうだ。

帯広では安い旅館にでも泊まろうと思っていたら、スタンドについてコーヒーをご馳走になり、話すうちに「ここに泊まってもいい」と言ってくれる。遠慮無く泊めて貰うことにする。ソファを並べ寝る段取りをする。スタンドの皆さんおおきに。今日はついてるね、考えたら2日分ぐらいを一気に走ったみたいだ。(200キロぐらいかな)

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中大生と黄金街道


・昭和39年8月2日

・宿泊地ー広尾一安い旅館
・走行距離ー85キロ
・使用金額ー450円
・天気ー曇り

朝9時にスタンドを出発。うきうきする程気持ちが良い。道の端には傘になるような大きな「ふき」が一杯生えている。まるでガリバーの世界に入り込んだみたいだ。記念に写真を撮る。気持ちよくすいすい走る。寒さに震えることなく、たっぷり寝るとこんなに元気になり気持ちが良いなんて!足も機嫌良く、まるで空を飛ばんかのように力が入る。

帯広市内の食堂でご飯を食べる。お金を払おうとすると、店の親父さんが、「ただで良い」とご馳走してくれる。だから言うのじゃないが、この親父さんもいい人だ。

しばらく走り、田辺さんの家でご飯を炊かせて貰う。奥さんにおかずを貰い、ついでに食べさせて貰う。ご主人は庭石が好きだそうで、家の前に大きな石が置いてあり、ずいぶん遠くから運んできたそうだ。石にくっついている苔が値打ちで、この苔に傷を付けないで車に積むのが大変だったと、嘘のような話をしてくれる。日本も広いとつくづく思った。こんな石の何処が良いのか俺にはさっぱりわからん。大金をかけて庭をわざわざ狭くしているのだから、田辺さんという人は面白い人だ。それにとてもいい人で俺にとても親切にしてくれる。今夜泊まっていけと行ってくれたが、時間も早いし、それに何よりも速く北海道を終わりたい気持ちが強く、有り難く遠慮する。子供達の写真を撮り、おみやげにめずらしい十勝石と美味しい漬け物を貰い、田辺さん宅を出発する。

しばらくして、貰った漬け物を食べながら走ろうと、新築中の家があったので、水道をかりに行く。沢山の人がいて、「ついでにおにぎりを食べて行きなさい」と、歓迎してくれる。この家のおばあちゃんは、若い頃散髪屋さんだったそうで、汚い俺を見て、散髪をしてくれる。腹は一杯になるし、頭は軽くなるし、かねばあちゃんおおきに!三時頃荒木さん宅を出発する。

途中で中大生の5人組と一緒になる。広尾町まで一緒に走ったが、ガスがひどくなり、ここで旅館に泊まるという彼らに仲間に入れて貰い、一番安い旅館を探して歩く。「6人だからうんと安くして欲しい」と彼らが粘って交渉してくれ、400円で泊まれることになる。風呂もあるし、布団に眠れる、嬉しいな。いい調子でお互いにサインをしあい、遅くまでいろんな話をする。いい仲間が出来て嬉しい。

人間は死ぬまで一人でいかなあかんのだから、もっと強くならなければダメだと思うけど、一人ではどうにも生きていけないのを思い知らされる。強く生きると言うことは、自分一人でと言うのじゃなく、周りの人たちの力を上手に借りることが出来るようにならなあかんと思う。この世の中は、本当にいい人が半分いるのだから、一人で勝手に悩んだり、怒ったり、あせったりすることはないのだ。

北海道帯広市  田辺健一さん
北海道河西郡更別  荒木かねさん
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エリモ岬の昆布干し


・昭和39年8月3日

・宿泊地ー日高(中村さん宅)
・走行距離ー58キロ
・使用金額ー80円
・天気ー晴れのち曇り

快適な出発だった。中大生といっしょなもんで、心強いし楽しかった。時には旅館に泊まるのもいいもんだ。

黄金街道を走る。道路に黄金を敷き詰める程お金がかかったと聞いてびっくり。黄金道路というからどれだけ景色が良いのかと思っていたので、第一印象はなんだか「もったいない」と言う感じだ。しかしここにも人は生活しているのだから道路は必要だ。なかったら第一俺が困る!景色はそれほどではなく、ま 普通だ。田舎が何と言っても景色は一番良い。しかし「黄金街道」この言葉のひびきの素晴らしいこと。

海岸で昆布を拾いそれではちまきをして、そのはちまきをかじったり、海岸でふざけたりして楽しく遊ぶ。襟裳岬までの海岸は何処も昆布魚が盛んで、何処の浜も見事な昆布が美しい縞模様を描いて砂浜一面に干してある。その昆布が何とも言えぬ良い香を放っている。乾いた昆布を切り揃え箱づめしている小屋を見せて貰う。大阪方面にも沢山出荷しているそうで、大阪名物「塩昆布」として売られ、特にここの昆布は上等だそうだ。そこの人に中大生といっしょに「アルバイトに雇って欲しい」と頼んでみたけど俺たちみたいに虫のいいアルバイトは、どんなに人手不足でも、何処でも雇ってくれそうにない。

しゃあないので襟裳岬の燈台を見物に行く。何にもないところだ。ガスがかかってきて寒くなる。何にも見えなくなり、灯台も霧笛を鳴らし出す。襟裳岬では泊まる気がしないので、中大生とはここで別れて一人で走り出す。

日高に着いたときは、もう大分暗くなっていた。親切な漁師さんに会い、泊めてもらえることになる。ここでも今は昆布が忙しく四時頃はもう家を出ていくそうだ。中村さん宅で久しぶりに胃が破裂する程ご飯をご馳走になる。考えてみると、あさましくて、自分が哀れになるような気がする。お姉さんに布団を敷いて貰い寝るが、夜中に体が痒くて目が覚める。ノミか何かがいるらしい。でも寒さに震えて寝るよりずっとありがたい。

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北海道日高 中村玲子さん

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札幌まで87km


・昭和39年8月4日

・宿泊地ー新冠(関口さん宅)
・走行距離ー150キロ
・使用金額ー40円
・天気ー曇り時々霧雨

出発の時が来たけど、寝不足のためか足が重くコンデションが悪い。途中でカメラが壊れてしまうし、自転車の調子も悪くて最低だった。村中さんにおにぎりを7つも作ってもらったが出発してほどなくとても気になって、線路脇の海岸でペロリと食べてしまう。おかげで気分がすっきりした。

途中では何度もイヤになったけど、町田さんに出会い、力がでてくる。道が悪く自転車も頭も服もドロドロだ。この辺は競走馬を沢山飼育しているそうだ。東洋一だという田中牧場を見学させて貰う。思いもつかない値段の馬がその辺をゴロゴロ走っていてびっくりする。広い広い牧場なので馬を集めるのも大変だろうなと思う。生の牛乳を飲ませて貰う。うまい!

交番に2度もより、泊まるところがないかと聞くけど、どちらもあっさりと断られる。警察なんて何処も冷たいもんだ。分かっていても困ったら頼ってしまう。

新冠の広場に泊めてあるおんぼろトラックに潜り込んで寝ることにする。今夜は夕食は抜きにしよう!寝ていたらトラックの持ち主が来て、「俺の家に来て寝なさい」と言ってくれる。変な男が車に悪さでもしないかと見に来たのだと思うけど、寒いし親切なお言葉に甘えて泊めて貰うことにする。あきらめていた夕食をご馳走になる。おまけに晩酌付きで豪勢なもんになった。

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北海道日高国新冠町 関口 一さん

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中村さんの子供達と夕食の用意


・昭和39年8月5日

・宿泊地ー苫小牧(中村さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー曇り(ガス)

ここは苫小牧の外れ、まことに滑稽であった。荒れ地の真ん中に廃材を積んであったので、ご飯を炊くのにも丁度良いし、今日はここで寝ようと用意をする。近所の家(中村さん)で米を分けて貰い、お金を払おうとしたが、要らないと言うので有り難く貰っておく。

さて、米は出来たし、薪はいっぱいあるので、景気よくご飯を炊く。中村さんの子供達も遊びに来たので、どんどん火を燃やして、気がついたら焦げの臭い、あわてて蓋を取ったら、真ん中の少しだけが黄色であとはすっかり灰になってしまった。


原野 小島先生

でも いいや今日はとても良い1日だったもの。道内一週の小島さんに会い、色々話をして貰い勉強になったし、道路も今までに比べて、ずっと良くなった。ラーメンをご馳走になり快適なサイクリングだった。お別れの時、小島さんが「何でも欲しいものを言いなさい」と言うので、大きなようかんを買ってもらうことにする。俺のためにお金を使わすのは悪いと思ったけど、小島さんは、「もうすぐ道内一周を終え、家に帰れるからお金はそんなにいらないので」とおごってくれた。「チーズも残っているから持って行きなさい」と大きいのを貰う。力が付くそうなので遠慮無く貰う。おおきに!

※小島先生とは、まさに運命的な出会いであった。小生の結婚の仲人をして貰うことにまでなった。

ここでようかんを買ってもらう。

今夜は野宿のつもりで、寝床も作ったが、中村さんが「家で寝なさい」と何度も言ってくれるので、お言葉に甘えて泊めて貰うことにする。

暖かい心にふれて、わが心も暖かくほかほか。

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北海道苫小牧市 中村正八(均)さん
北海道 雨竜郡 小島 雄三 さん

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羊蹄山(1893M)

・昭和39年8月6日

・宿泊地ー虻田(千鳥丸)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー晴れ後曇り

中村さんに朝食をご馳走になり、元気に出発する。でもすぐに腹が減り、夕べの真っ黒のご飯の食べれそうなところをボリボリと食べるがまだ腹がおさまらず、昨夜小島さんに買ってもらった羊羹もぺろりと食べてしまう。頭が痛いし腹が無性に減るし、俺の体はどうにかなってしまったようだ。

農家に行き(斉藤さん)、水筒に水を貰う。米も分けて欲しいと頼んだら、おばあちゃんが一升くれたので、喜んで貰う。そしてバケツに一杯の生の牛乳を「好きなだけ呑みなさい」と持ってきてくれる。ひしゃくで2杯も飲ませて貰う。「ついでだからご飯も食べて行きなさい。」とご馳走になる。これで又しばらく飢えることはないと嬉しくなる。


斉藤末太郎さん一家 2重窓に注目


益塚健一さん

室蘭までの道路は素晴らしく、広くてまっすぐだ。制限速度も70キロと初めての道だ。トラックの後につかまって、すごいスピードで引っ張って貰う。運転手が気付いてスピードをゆるめるか、おこられるまで何台もの車につかまって走る。室蘭まで20キロぐらいになったとき、益塚さんが「乗っていくか」と車を止めてくれたので、せっかくだから室蘭まで乗せて貰う。市内でおろして貰い、「何か食べなさい」と5百円も貰う。おおきに!

少し市内をうろうろして長万部に向かう。虻田まで走り、千鳥丸の船主さんに宿泊をお願いし、まずは今夜の準備は出来た。こう書いてみると調子良さそうだが、今日程走りづらい日も珍しい。ひどい向かい風で、その上頭痛がひどい。しかし何とかなるもんだ。精神力一つで人間て力が出るもんだ。益塚さんの好きだと言った言葉じゃないが、「前進あるのみ」今の俺にピッタリの言葉だ。


長万部

北海道 札幌市 益塚 健一さん
北海道 有珠郡 斉藤 末太郎さん
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時にはこんな事故も

・昭和39年8月7日

・宿泊地ー中の沢青年会館
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー雨 強風

こうして一人で寂しく考えていると、北海道は俺にとって早く通りすぎたい、嫌な土地だ。ガスがひどいし、雨ばかりで体の芯まで凍り付きそうな日が毎日続く。その上風が強く、自転車が前に進むのを嫌がる。でも、ここに住む人たちはとてもおおらかで、心優しい。厳しい自然と暮らしていると、人間の心もこんなになるのかと、嬉しくなってしまう。親切で暖かく素晴らしい人の何と多いことか。

自転車旅行なんて言えばかっこええけど、毎日は乞食みたいなものだ。飯ごうのご飯に塩をかけただけの食事が普通で、「今日は疲れたから贅沢をしよう」なんて日は、めざしを2匹とか、ソーセージ1本などと買い、おかずにするぐらいで、どこかでご馳走でもされない限り、毎日が飢えている。やせるいっぽうだ。風呂にも滅多に入らないし、汗やホコリにまみれた服のまま寝ていると、頭に浮かぶのは、つらいことや寂しいことばかりだ。


有珠山、右昭和新山

夜はこんなに寂しいのに、朝になり、人と会い、ほんの少し話をするだけで、夜の寂しさはぱっとどこかに飛んでいってしまうから不思議だ。まるでその土地の人々に甘えるために旅をしているようで、心苦しいときもあるけど、その嬉しさたるや、今までに味わったことのない感動だ。

しかし今日も又ツライ一日であった。雨交じりの強い向かい風が俺をほんのちょっとしか前進させてくれない。特に、静狩峠はひどく、すごい登り坂に冷たい雨。その上向かい風が俺をいじめる。ハンドルを握る手が、白くなる程の寒さに耐えて、ノロノロと走る。すれ違う車はみな冷たい風とドロ水を浴びせかけて行き過ぎる。そのたびに俺は情けないやら腹が立つやら、でも徐行してくれる車が1台だけあった。行き過ぎて止まって待っていてくれ、助手席の子供がチョコレートをくれたときは、ハッとするほど嬉しかった。車がくる度に恨んでいたけど、やはり中にはこんな人も運転していることを知り、むやみに腹を立てたらあかんことを勉強する。ナンバー「札2・ふ・4269」おおきに!

長万部の次の駅の中の沢という小さい村でくたばってしまう。50キロぐらい走ったろうか、干し草の小屋で寝ていたら、「火事にでもなったら大変だ」と、えらいおこられる。しかし「俺は煙草なんか吸わないから」と無理に寝ていると(とても動ける状態でない)、近くの若い人が、青年クラブに寝ても良いからと言いに来てくれる。うれしいね。しかし朝まで寒くてやりきれなかった。渋木さんには朝食をご馳走になる。心からお礼を言います。

北海道 札幌市 益塚 健一さん
北海道 有珠郡 斉藤 末太郎さん
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北海道→青森 船に乗る

・昭和39年8月8日

・宿泊地ー道南丸
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー雨

時折の強い風と強い雨には、身も心も負けそうだ。でも頑張らなくっちゃ。泥水をかけられながら、本当言ったら嫌々走っている。天気が良かったら大沼公園で一泊してのんびりと大沼の美しさに浸ろうと思っていたのに、残念だ。沼のあちらこちらに、大きい島、小さい島が、まるで作り物のように浮かぶ様は、心の中まで安まるようだ。今まで、観光地では一度として感動したことはないけど、ここはまるで全部自分のものにしてしまいたいような気になってしまう。ここでもせっかくのカラー写真を撮ることが出来ず残念だ。その上せっかく渋木さんにもらった大事な米をどこかで落としてしまい情けない。

くよくよしながら函館まで来てしまう。市内にはいると痛いくらいのひどい雨になってしまう。風もひどい。急に不安になってくる。はたして船はでるだろうか。港に行ってみる。青函連絡船は欠航になってしまった。どうしようとうろうろしていると、東京から来た学生も船を探していたので、一緒に探しに行く。


道南丸

道南海運が出るそうだ。「危ないから止めた方が良い」という係りの人に無理矢理頼んで乗せて貰う。今日のこの雨で、松江の方ではひどい被害が出たそうだ。心よりお見舞い申します。それにしても船の揺れること。四畳半ほどの船室は、何にも捕まるところが無く、二人であっちにごろり、こっちにごろりと、部屋の中を転げ回る。とても寝るどころではなく、ものすごい船酔いに泣かされる。連れの学生と交代でつかまりながら甲板へ何回もゲロをしに行く。

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