ヨロヨロ旅行記 世界一の棚田の旅(中国 昆明編) 2008年3月4日(火)〜3月11日(火)


●6日目  元陽 世界一の棚田観光

夕べの夕食は、ホテルのレストランの予定だったが、ホテルのレストランでは結婚式のパーティが行われていて、サービスが出来ないとのことで、 急遽新元陽の町のレストランですることになった。

旅慣れたメンバーは敏感に察知して、「待っても良いからホテルで食べたい」 といっていたが、ガイドの契約したレストランなのか?強引にその薄暗いレストランに入った。

そして皆さんの 予感は的中して、案内された二階の部屋には、下から異様な”ヘドロの匂い”のような異臭ががわき上がってきて、 一斉に皆さんが騒ぎだした。

私は以外にも平気で食べていたが、、、、 全然食事には手を出さない人が何人もいた。

つらそうなガイドの顔を見てると、来るまえに添乗員から 電話で言われた「想像を超えたひどい所がありますから」と言う言葉がよみがえり、「これも僻地の旅行では仕方のない事」 と、メンバーの皆さんを慰める側にまわっていた。

その町から狭い暗い急坂を海抜1200メートル付近まで1時間かけてかけ登ると、目的のホテルがあった(旧元陽)。真っ暗で街灯 もなく、その上キリが深く、明日の天気が心配なホテル入りになった。

‥そして朝‥

心配は的中!キリで100メートルほどの視界しかなく、目的の棚田はあきらめ加減でバスに乗り込み、 昨夜披露宴で楽しんだ、新婚さんの「新婚パレード」の少し後からバスは出発。

しばらくしてその車列に追いついてしまった。 その車列の窓から時々投げられる「爆竹」音の凄まじいこと!

その爆竹の煙も、ものすごいキリにすぐとけ込んでしまった。

‥青口棚田‥

青口棚田に着いたら、なんと!キリがすーと切れて行き、10分程度の撮影時間がとれ、さい先の良いスタートとなった。

これは「私の行いが良かったからだと?」心の中で叫んでやった。

その棚田で、なんと初めて日本人観光客に出会った。

小さなツアーであったが、そのツアーのガイドらしき人が、 片言の日本語で「チベットで会いましたね?」と言うではないか!似た人がチベット人の中にひょっとしたら居た のかもね!


キリの晴れ間に見えた棚田

ここは集落が近くにあった

キリが出てきた棚田

青口棚田

美しい青口棚田

赤いのは水草か?
‥全福棚田‥

バスから降りて撮影しながら100メートルほど歩き、又バスに乗り2〜3分走って又バスを降り撮影しながら歩き、バスに拾ってもらうの事を何度か繰り返しながら撮影したが、この間バスで10分は走ったはずだが、美しい棚田の切れ目はなく、キリの彼方まで棚田は続いているから恐ろしい程の田んぼの数だ、きっと彼方の棚田までお百姓さんは農作業の度に家族で歩いて行くのだろうが、道の近くに集落は見あたらない。


草刈りをする女性

満足げのおっさん?

キリが出てきた棚田

撮影中のメンバー(トラックがかっこいい!)

美しい全福棚田

全福棚田

全福棚田

遙か彼方の山の上の方まで棚田は続いている
‥ハ達棚田‥

キリの晴れるのを待つ(手前は現地ガイドの李さん)

そして次のハ達棚田は、一度もその姿を見せることはなかった。

ハ達棚田はキリがひどく、いつまで待っても棚田の方から吹き上がってくる濃い霧が晴れそうになく、早々にホテルに帰った。そして「昼食をして夕日の時間までバザール見物 など自由時間です」と言うガイドに、”昨日のひどいレストランの埋め合わせに、早めにバスを出し、もう一度 午前中見れなかった「ハ達棚田」に再チャレンジさせてくれ” と交渉して、再度「ハ達棚田」に行ってみたが、待てども待てどもやはりその姿をみせてはくれなかった。

‥夕日の虎ノ口棚田‥

いくらしつこいメンバーもこれ以上は待てないので、この旅最大の目標「夕日の虎ノ口棚田」に最後の望みをかけて、バスは濃霧の 中を走った。

くねくねと走る事45分ほどで、目的の棚田に付くらしいが、霧は一向に切れる様子は無く「一瞬でも良いので 霧が切れますように」と祈る声が車内から聞こえるし、「厚かましい頼み事ではありますが、一瞬でも晴れてポスターで見かける 、あの恐ろしいような棚田の姿を拝めますように・・・」本当にそんな気分に成る程の 最悪のコンデションだったのです。

それが私の祈りの成果がミルミル現れ、バスを降りる頃は一番下の、まるで線路の ような細い田んぼまで見えるではないかぁぁぁぁぁぁ!


石段の遙か下に棚田がある

向こうの人は棚田を梯田(はしごだ)と言うようです、梯子のように急な階段を降りた所一面に、その棚田は広がっていた。

ほんの10分ほどの間だっが、キリの晴れ間に見える見事な棚田は、写真でみたあの棚田で、シャッターを切るのを忘れる程 の感銘を受けた。

日本の棚田百選から始まった私のリタイヤ後の楽しみは、”見事なそれはそれは美しい棚田”で完結することが 出来た。


キリの晴れ間にこの景色!

山の上まで棚田は続いていた

人は豆粒くらいの大きさにしか見えない

広すぎてカメラに収まらないので3枚の写真を合成した
‥‥‥‥

元陽は至とこる棚田だらけで、日本と違いどの田んぼも耕作されていて全然荒れてないのが嬉しくなってしまうが、 はたしてこの美しい光景がいつまで続いていくのか?

どんな辺ぴな山奥でも国策のためにか?パラボラアンテナが付いてあり、ブラウン管の古いテレビがあり、みんな テレビに夢中なようだ。かって日本も国策もあったのか?テレビにより自分で物事を考えることをしなくなったように、 今中国の人々もテレビに夢中で、お金が第一の生活になってしまったそうです。

百姓も我が子を大学に行かせるために、何が 何でも勉強勉強で、村の調和とか考える暇があったら勉強して、えらくなってほしいと考え、都会での勉強を我が子にさせた いと、必死になっているそうです。そしてその子どもが都会での生活に触れすっかり楽を覚え、里帰りした時「こんなまずい 物は食えない」なんて言い出す始末で、この1300年以上の歴史のある棚田が30年後50年後にどうなっているかと思う と、暗澹たる気持ちにさせれたしまう。

一言でこの棚田を表現するなら、 「中国人は宇宙人なのか?」宇宙人が切り開いたのでは無いのか?人間業とは到底思えない壮大な光景に圧倒される。 村は山の上の方にあり、田んぼに続く道は人が一人歩けるのがやっと、と思える梯子の様な階段と畦道が田んぼの回りにある のみ、どうやって田植えをし、どうやって収穫した米を家まで運び上げると言うのだ? 私が村から下の田んぼまで手ぶらで降りて、昼弁当を食べて休み休み上がって来ただけで、きっと日が暮れてるだろう。 聞くところによると、あちこちに小屋があり、田植えや収穫が済むまで家族はその小屋で生活し、家には戻らないそうです。

ほんの10分程の夢に見た棚田との出会いでしたが、もちろんこの棚田の「超強力」な映像は生涯忘れることは出来ないで しょう。そしてこの棚田を先祖代々千年以上作り続けて来た元陽の百姓の純粋さと努力に感銘をうけた。 棚田を作り続ける苦労と、勉学に励み都会の生活に憧れる夢を計りにかけることは出来ないが、ここの百姓の生活は テレビは有るものの、ほぼ私の子どもの頃(50年前)の生活と同じ位ではないかと思う。世の中のテンポを考えて30年後 が恐ろしい気がするのは私の考え過ぎでしょうか?

「世界のことを考え今の生活に満足しろ」なんて言えませんが、果たして 今の日本が豊かで幸せな国なのかな?と棚田で出会った「3元」「3元」とおねだりをする子ども達に問いかけたい気持ちだ。

トップページへ  次のページへ 前のページへ  旅行記トップへ