「ああ〜あ 終わった!」

手術室のドアを出る時の気持ちは、「ああ〜あ 終わった!」という喜びが溢れた。

ドアーを出た所で、思いがけず会社の上司と妻の顔が、以外の大きさで見えたときは、ほんまにほんまに嬉しかった。話などする時間もなくさあっと行ってしまったが、上司の「ガンバレヨ」と言う言葉が、弱ったからだと心に120%しみ込んでいくのがわかった。実に的を得た励ましの言葉だと感心する。

ICU(集中治療室)は、ただ生きているだけの患者にとって、とても広く、安心感のある部屋であり、若いたくさんの看護士の人たちは親切で、テキパキしていて、居心地はいいものです。(動けるならば)

しかし、運ばれてから、ずうーと上を向いたまま、足も曲げることも出来ず、お知りをずらすことも出来ない時間が、何時間過ぎたことか。腰がいたいを通り越して、しびれてしまっている。「痛み止めを出しますから、いくら痛くても絶対動かさないように」と言うこと。まことにつらい。しかし、痛いより生きたい。それに親身になって世話してくれる若い看護士さん達に励まされて、時間は少しづつ、快方に向かって進んでくれるだろう。

岩田Drから、「そうとう危ない状態で運び込まれたこと、今の心臓の状態は「とうふ」のようなもので、とにかく安静にするように、咳をしても心臓に穴があいてしまうこともあるので、手を動かす時も、力を入れて急に動かしたりしないように、と注意があり、今までに自分の手にこんなに気を遣った事はなかった。

上を向いたままの私の耳には、「アスカさーん}なんて、子供と同じ名前の看護士さんや、沖縄から来た男の看護士、私の痛さをいつも気遣ってくれた宮本さん、他の人達も、寂しい私にとって、実に心のこもった看護をして貰いました。

1日の時間の長いこと、昼も夜もわからず、うとうととして、「いたい!いたい!」と言うことと「若者はいいな!」と言うことが、この時の私の感じていたことです。

ICUの面会時間は、2時から3時までの間の15分だけ、それも家族だけだそうです。エプロン、マスク着用。


2月27日(木)右足カテーテル抜ける

今日も同じ状態、指には、血液中の水分量を計るらしいセンサーを常に差し込まれていて、左腕は、血圧計のベルトが巻きっぱなしで、常にテレビの画面に、いくつもの線と数字が忙しく私が生きている証を写しだしている。

「今日の午後、左足のカテーテルを抜きます。」という嬉しい情報に、内心思ったより良くなっているんだと実感する。「これを抜けば、少しは腰を動かすことが出来ます。と言われたが、手でするジェスチャーでは、どうも2〜3Cm位しか動かせないみたいだ。でも、朗報である。

1時半、いよいよ少し楽になる時が来た。「少し痛いですよ」と言う言葉で始まったが、それは尿管結石の痛さを何度も経験したものにとっても、痛さの質が違っていたが、文字にするなら、重い痛さであった。まさに、太い動脈に入っているものを抜いて止血するのだから大変だ。自分の目で見ることは出来ないが、思わず、2度堅いベッドに腰を引いてしまった。その後、止血のためにテニスボールを半分に切ったような鉄の玉を、それこそ先生が渾身の力を込めてギューと押さえつけ、きついきついベルトのような物で止めて終わった。このまま、絶対安静で2時間、そうすれば、一応止血は終わりだそうです。しかしその時がきて、先生は、「急患の為にこのままにしておいて下さい。」と出ていった。

結局4時間程止血することになる。しかしこれは、結果的に完全であり良かったと思う。看護士さんに助けられ、少し体を斜めにして貰う。久しぶりの体の変形に全身で嬉しかった。今日から食事が出たが、少しだけ食べさせて貰う。自分とは思われない小食に「うそやろ」と自分につっこむ。結局、3食とも少し食べただけだった。朝方どうしても我慢が出来ずに大便をさせて貰う。少しづつ便器を尻の下に入れて貰い、「力を入れないで」と言われたが、勝手にいっぱい出たようだ。ここでも看護士さんに口には言えない感謝をする。


2月28日(金)心臓に穴??

力を入れたら悪いからズーと我慢していた鼻が、息もしにくい位気持ち悪くなったので、 看護士さんに聞いたら、ゆっくり力を入れずに出してみて下さいと言うので、お上品に少しずつ鼻をかむ。ほとんど出てくれたので、気分が随分良くなった。

朝食を少し食べさせて貰う。ここは、朝食8時、昼食が12時、すぐ昼食になるので、昼は食べられなかった。少し動けるように(と言っても、体はまっすぐのまま、腰に枕を当ててほんの少し体を横にむけてもらう。)なったので、安心感と昼を抜いたせいで、夕食(6時過ぎ)は、ほぼ完食。やった!と思ったのもつかの間、その後が悲惨であった。

気分が悪くなり、すべて戻してしまった。私的には、「戻してしまった」という程度の感覚だったのですが、医学的に大変なことらしく、すぐ岩田Drがとんできて、さかんに「カテーテルをはずすのが早かったかなあ」と自問している。先輩の先生に電話できて貰い、今の状態は大丈夫か、すぐエコーの機械を持ち込んで、見ながら先輩の先生に意見を聞いている。難しい専門用語で言っているのでわからないが、地獄の底にたたき落とされそうだった。

しかし、心臓に穴はあいてなく、薬で経過を見ると言うことで治療の方針が決まった。先生の顔が私と同じくらい安心したのがわかった。経験のある先輩の先生がいてくれたので、ここでも私は命拾いをしたようだ。血圧が、40〜20といつまでも上がらず、その夜は絶対安静がつづく。生と死を分ける夜になりそうな予感!


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