3月1日(土)一般病棟に移る

生きていた。良かった。夕べの先輩の先生(副院長)が朝見に来てくれて、手を握りながら、「命拾いをしましたね。本当に良かった。」と言われたときは、「命拾い」という言葉が、心にしみました。「本当に危なかったんですよ」とも言われ、「大事にしてください」と言われたときは、手のぬくもりとともに、人情のありがたさを感じずにはおれませんでした。

今日の午後には右足のカテーテルも予定通り抜いてくれそうで、そしたら一般病棟に行くそうです。こちらの足も細いとはいえ、「動脈ですので痛いですよ」とくぎを差され、昼前に岩田Drによって抜かれた。先生が、血が止まるまで30分ほど、自分の手で押さえての止血である。こちらは案外痛くなかった。血が止まったら、傷口にガーゼのボールを乗せて、その上にかまぼこ位の大きさの鉄のかたまりを乗せテープでガッチリ止める。そして2時間の絶対安静にはいる。身動き禁止!先が見えたせいか、慣れたせいか、そんなに苦ではなかった。

2時頃、お世話になった看護士のみなさんに見送られて、ICUの出口で、グリーン車?のベッドから、普通車のパラマウントベッドに乗り換えて、エレベーターで6階の「666号室」へ。いい番号だ。

元気になるための第1歩が始まった。部屋に案内してくれたのは、婦長さんだった。テキパキとして、安心して身を任せることが出来そうで、それに美人なのがよい。後々わかることだが、看護婦さん(この階は女性ばかり)達て、みんな使命感があり明るく元気で、やさしく、女性の良いところをみんなが出しきり、顔までみんな美しく、よほどの年寄りでない限り、生きる望みを看護婦さんによって呼び覚まされると思う。

まだまだベッドで上を向いたままだが、まもなく止血のテーピングがとれたら、また横を向くことが出来るのでもうすこしのしんぼうだ。面会時間は、こちらは、3時から7時まで、その時間は妻がいてくれるので、心強く助かる。夜は眠れなかった。時計がないので、時間がわからず、安静に、心臓に優しく、と言い聞かせながら、朝を待つ。


3月2日(日)おしめはずれる。今日からパンツだ!

今日は楽しみにしていた長男の音楽の発表会の日である。こうなってしまったので、長女にビデオの撮影を頼み元気になってから見たいと思う。

今朝、オシッコの管をはずす為の練習にはいる。朝食後に大便がしたくなったので、看護婦さんにポータブル便器を持ってきて貰う。下り気味が少しだけ出る。その時看護婦さんが「もう管もはずしましょうか」と言われて、シュルシュルと言う感じで、一気に下半身が軽くなった。

だんだん自分の体が取り戻せて、希望がわいてくる。今まで人任せだった小便の管理を自分でするようになって驚いた。今日1日で2500CCの小便が出ていた。今日は日曜日なので、妻が、朝の10時から、夜の7時までいられる。とても嬉しかった。

今回の入院は、会社は仕方ないけど、友人から親戚すべての人に内緒にしている。もし誰かから田舎の年老いた両親の耳に入ったら、どんな結果になるか心配だからである。だから元気になったときに、友達にネットで公開しようと考えた。

又一つ明るいニュース。今日から自分で歩いてトイレに行けるようになった事と、30分程座っても頭がしびれなくなった事。そしてテレビが見られるようになった事。今日の「グッドラック」は一人で泣いてしまった。

夜には、腕の点滴の針だけ残して、点滴も無くなった。ポールともお別れだ。(点滴をつり下げるためのあのじゃまな機械)私が勝手にポールと名付けた。看護婦さんに「私の相棒のポールをよろしく」と、引き取って貰ったが、笑ってくれるだけのユーモアは看護婦さんみんな持っていて楽しい。

寝る前歩いてトイレに行ってみたが、ポール君がないのは、なんとも普通で嬉しかった。でも、杖の役目もあった事が分かったのは、発見だった。寝ようとしたが、ほんまに快方に向かっているのか心配になり、少しどこかが痛いだけで寝ることも出来ず、少しこれを書いている。だいたい9時に寝なさいなんて無理だよ。

ドラマにでてくるような、あらしの夜中に病状が急変し家族が呼ばれると言うようなことがないように祈りながら、安静にして寝ます。(今夜はいい天気のようだし!)


表札
河内総合病院6階循環器病棟
表札

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