日本一周自転車旅行 北海道(1)




大沼国定公園(小沼よりの駒ヶ岳)


・昭和39年7月26日

・宿泊地ー長万部(大円寺)
・走行距離ー114キロ
・使用金額ー149円
・天気ー快晴

北海道はまるで冬。 函館港に着いたのは、朝の1時半頃だと言っていたが、眠かったのでほとんど覚えていない。朝食をご馳走になってから下船、船の皆さんにお世話になりました。帰りもことによるとお世話になるかもしれませんが、そのときは又ヨロシク。まだ薄暗く、ここでジィートしていても寒いし有名な函館山にいってみたがもちろんケーブルが動く時間には早すぎて、ガラーンとしていて寂しい。仕方なく引き返して長万部の大円寺に向かってオッチラと走り出す。

途中舗装したての道があって思わず写真をとったりする。大沼国定公園の美しいのにはびっくりする。北海道についてすぐこんなに良い景色を見せられ、ファイトが湧いてくる。

昼過ぎ首籐君に追い付かれる。彼も同じ17歳で、高校に行っているらしい。道内を一周するらしい、つくづく偉いなあと思う。一緒に走ることにする。鎌倉で紹介して貰った大円寺はすぐ見つかった。かなり大きなお寺である。上品な奥さんがでてきたので、大阪から来たこと、息子さんに紹介されたことを話すと、手紙で報せがあったと、首籐君と二人とも快く泊めてもらえる。

首籐君と洗濯をして、はじめて北海道で泳ごうと二人で海に行く。裸になって、海に入ろうと思ったが、海の水の冷たいこと、とても泳げるもんじゃない。地元の人たちは楽しそうに泳いでいるところを見ると、この辺の人たちは寒さに強いのかと感心してしまう。近くの温泉でぬくもり、いい気持ちで布団に入らせて貰う。楽しい一日であり遅くまで話をする。お寺でお守りを頂く。


駒ヶ岳

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洞爺湖


・昭和39年7月27日

・宿泊地ー矢野さん宅
・走行距離ー51キロ
・使用金額ー330円
・天気ー曇り

朝食をご馳走になり、二人で大円寺を元気に出発する。夕べ用意した小包を長万部駅から大阪に送る。撮影済みのフィルムと、使うこともないじゃまな荷物だ。このごろでは、要る者と要らないものが分かってきた。そうなると要らないものの何と重たいことか。荷物が少なくなったら気分的にずいぶん楽になった。


洞爺湖


矢野兄弟

今日はなかなかご飯にありつけず、首藤君と二人でジャガイモを畑で貰ってくる(持ち主に黙って)。静狩峠の途中まで来たら車の人が「乗せてやるから」というので、虻田町までの20キロほどを二人で乗せて貰う。洞爺湖畔で悪いけど黙って貰ってきたジャガイモを飯ごうでゆがいて食べる。「こんなうまいものがこの世の中にあったのか」なんて言いながら二人でみんな食べてしまう。この湖畔はテントなども張ってあり、なかなか景色の良いところだ。

腹ごしらえも出来たし、とき時雨も降ってきたので、一生懸命二人で走り出す。二宮まで来たらむちゃくちゃ雨が降ってきた。寒いししかたなく農家の納屋で雨宿りをさせて貰う。そのうちに暗くなってきたのに雨が止まないので、「納屋でいいから泊めてください」と頼む。「部屋で寝なさい」と何度も言ってくれたが、二人で納屋の方が気が楽だからと、無理にむしろを借りて寝る段取りをする。すると、ご飯を食べにおいでと子供が迎えに来てくれる。ありがたくご馳走になり、風呂にも入らせて貰い、さて寝ようとしたら又子供が来て「ココはお化けがでるから、家にどうしても来て寝てください。布団も敷いて待っています。」と言うのであんまり悪いのでお言葉に甘えて布団に休ませて貰う。人がせっかく言ってくれる言葉には、素直にあまえるべきだと思った。優しい気持ちのない人は言葉などかけないもんね。それにしても北海道は美しく温かい人ばかりなのに、この寒さはどうだ。


首藤君

栃木県足利市 首藤 忠雄君

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アイヌの顔で


・昭和39年7月28日

・宿泊地ー江別市野幌バス停
・走行距離ー78キロ
・使用金額ー361円
・天気ー曇り

北海道は今まで見たことのない面白い畑ばかりだ。山なりにななめの畑がずうーと続いている。その畑に沿って道もななめに通っている。それもむちゃくちゃに長い畑だ。家などぽつんぽつんとあるだけで、広々していてまさに北海道だ。中山峠では、寝ている熊を無理矢理起こして写真を撮ったり、峠であった一人と首藤君と三人でふざけ会って遊ぶ。


中山峠


ニセのポプラ並木

定山渓の少し手前で自動車に乗せて貰う。三人で自動車の速さと楽しさなどをワイワイと言いながら景色を眺めていると、定山渓もアットいう間に過ぎてしまった。有名な割にびっくりする程の景色ではなかった。しかし小さな電車はカッコ良かった。そのまま札幌の入口まで乗せて貰う。楽チンだし、速いし、話し相手もあるしで面白かった。別に記録に挑戦しているのじゃないから、時には車に乗せて貰うのもいいもんだ。汽車にだって乗っても良いと思う。絶対に自分の足で走ったり、歩いたりするんだと言い切る人がいるけど、そんなに頑固に生きる必要があるのだろうか。俺の旅は自分自身への挑戦だから、いろんなとこでいろんな人と会うだけでも良いと思う。いろんな人からの温かい、又は冷たい仕打ちが自分の勉強になるのだから、出来るだけ自然に自分の思いのままに走るのが良いと思う。それにしても温かい人に会えたときは、「よくぞ自転車旅行を思い立った」と自分に満足し、又一人になったらすぐに寂しくなり、どうしてこんな事を始めたのかと思ったりする。その移り変わりの速いのが自分でも情けないと思う。

さて、札幌での時間が沢山出来たので、まず有名なポプラ並木に行く。首藤君と、「ここが有名なポプラ並木か」と感心してたら、知らない人が来て「有名なポプラ並木は、隣の並木だ」と教えてくれる。なあんだと二人で大笑い。間違った並木の方が立派なんで少しガッカリする。


本物のポプラ並木

クラーク館も見物させて貰う。札幌駅に行き、その立派なのにびっくりする。首藤君の切符を買い、時間があるので時計台にいってみる。あんなに有名なんだから、どんなに立派な建物かと思ったら、見つけるのに探し回る程小さいのには笑ってしまった。有名なものは立派だなんて思っていた僕たちは田舎ものだな。時計台で「お互いに元気で頑張ろう」と首藤君と別れる。


クラーク像

札幌時計台

彼は汽車で稚内に、俺は又一人旅。厚別の施設で保母さんをしている、平山恵子さんを訪ねる。報恩学園は人なつっこい子供達で(と言っても俺ぐらいの年かな)言葉も自由にならない人たちらしく、俺の周りにも何人も集まり、口々に何か言ってるけど、一人と一人でもわかりにくいのに、一斉にみなが喋るもんで聞き取れない。何だか悪いけどこっちが見せ物みたいで恥ずかしくなってくる。肝心の平山さんは2ヶ月前に辞めたそうで、会えなくて残念だけど、おかげでこんな施設があるのを知った。自分は健康で好き勝手なことをしているのが悪いような気がした。足はむちゃくちゃ重いけど引き返す。おまけに又道を間違えてしまう。とんでもない所にいってしまい、足がまるで動かない。寝るところを探しながら足を引きつらせて引き返す。やっと元の所に戻れた。バス停があったので早速寝ることにする。おやすみ。

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食事の用意


・昭和39年7月29日

・宿泊地ー旭川市(内海さん宅)
・走行距離ー140キロ
・使用金額ー277円
・天気ー曇り

夕べの寒かったこと、寒さに目が覚めてしまい、持ってる服をみんな着て、毛布に頭までくるまったけど、ジトジト濡れてるみたいに気持ちも悪く眠られなかった。真夏だというのに北海道のこの寒さは一体どうなっているのだ。昼頃になって何だか虚しく足も重たくダウンしてしまう。道路脇の草むらで1時間程寝る。気を取り直して走っても、すぐにダウンしてしまう。どうも疲れがたまっているのか、体が重すぎて気力が湧かない。こんな事で日本一周なんか出来るものか。頑張れ!頑張れ!誰も自転車旅行などしてくれと頼んでないぞ。俺が勝手にでてきたんじゃないか

赤穂浪士の墓があったので一人でお参りをする。寂しいところだが、何となく暖かみのあるお墓である。遠藤君と佐藤君という2人連れに会う。急に元気になるから、我ながら驚いたりあきれたり。寂しいけど一人旅の意義みたいなものを感じる。

旭川市に着いて、腹は減るし作る元気もないので、「山ちゃん」という食堂にはいる。そこのおばさんに大変お世話になる。おばさんおおきに。いつの日か又来たときは寄りますからね。今夜の泊まりをどうすると3人で話し合う。俺は夕べ寒くて参った話をする。彼たちもどこかに泊めて貰おうと思っているらしい。早速教会に行って頼んでみる。教会は旅行者に理解があるからと、中の一人がいうもんで、安心していったのにあっさり断られた。もう1軒の教会を見つけていってみたけど、ダメだった。別にガッカリすることもないはずなのに、内心ガッカリする。自分自身にも他人にも甘えているのはよく分かっているけど、親切で優しい人にたくさんあって来ただけに、ここでも、と思う甘えた自分に腹が立つ。

この頃は、やたらと自転車旅行とか、徒歩旅行者が北海道へ北海道へと押し掛け、道の近くの家に来ては、「ご飯を食べさせてくれ」とか、「泊めてくれ」と言うので,世話をしてやっても礼状一つよこさん。そんな話聞かされては、俺はそんな男じゃないなんて言えたもんじゃないし、同じ道を通るものとして、恥ずかしい限りだ。そんなことを理由に断られるのは、自分がまるで悪いことをしているみたいで情けない。

彼らはテントを持っているのでお宮に行き、テントを張らせて欲しいと頼む。「火の元に気をつけてくれればいいです。」と言われ、ああ良かった。近所に住む内海さんが「寒いし不便だろうから、家に来て寝なさい」と言ってくれる。3人で喜んでおじゃまする。うれしいね。ご飯をご馳走になり、家族の人たちみんなと話がはずみ我を忘れて楽しんだ。律子さんが美人なので、我ら三人うきうきと心がはずんだ。北海道に来て初めて心から楽しんだ。気分上々、うきうき北海道だ。

友と語るとき、自分はああ幸せだと思う。

自分一人で考えるとき、その時が一番自分のためになる。


旭川市永山町  内海 金二郎(律子)さん

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真っ黒の私

・昭和39年7月30日

・宿泊地ー相内公民館
・走行距離ー138キロ
・使用金額ー332円
・天気ー曇り

今日はえらく頑張って走った門もんだ。層雲峡までは遠藤君と一緒に走ったが、そこで彼と別れて又一人になる。千五十メートルの石北峠は、流石に苦しかった。天候が又悪くなり、甘え心を出して農家に泊めて貰おうと、3軒ほど頼んでみたけど、自転車旅行者の評判の悪いこと、何処も泊めてはくれない。後で考えたら、何で俺が恩知らずの先人のかわりにあやまらなあかんのや。「足が重いし、瞼も重い、ええい!もう寝よ。」とばかりに、道ばたに自転車をひっくり返して寝てしまう。どれぐらい寝ただろうか。人ががやがやうるさいので目を覚ます。そうしたら何と観光バスが止まり、人が一杯降りてきたところだ。どうやら自転車がひっくり返り、俺が草むらに転がっているので、事故で死んでいると思ったらしい。恥ずかしくなり、逃げるように走り出す。観光バスの皆さん、心配かけてごめんなさい。しかしこれが本当に事故だったら怖いこわい、気をつけよう。

途中で学校を見つけたので、校長先生の所に行き、「毛布しか持ってないので、寒さに負けて野宿が出来ない、どうか学校に泊めて欲しい」と頼んでみる。「学校には泊められないけど、公民館に行けば泊まれるかもしれない」と教えて貰う。早速教えて貰った部落長さんの家に行き、同じ事をお願いしてみる。快く了解して貰い、早速部屋に入れて貰い、ひと安心。しかし危ないので「火を絶対に使用しないこと」と約束したため、その寒いこと、外で寝ることを思えばありがたいけど、それにしても寒い。鳥肌は一杯立ってくるし、下敷きをこすって頭の毛に持っていった時みたいに、腕の毛が波立っている。指まで麻痺してしまい、思うように動かない。こんな気持ちは、暖かい布団の中で寝ている人には分からないだろう。つくづく情けない。とにかく北海道の寒さは予想できなかった。夏だとはどうしても思えない。とても焦っているし、ずいぶん疲れている。このまま寝たら死んでしまうんじゃないかと思うけど、ある物みんな着て、もうダメ! オヤスミ。

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アスパラ畑

・昭和39年7月31日

・宿泊地-美幌峠展望台
・走行距離ー74キロ
・使用金額ー150円
・天気ー小雨のち霧

雨が降っているけど、エイ!とばかり思い切って相内公民館を出発。もう今日はここまで、ここまでと思いながら、ずるずると走る。雨の中では休むところもないし、自分に腹をたてながらいやいや走る。お金が無くなったので、美幌郵便局で三千円おろす。しかし山の中か畑ばかりで、店がないので、腹はへって来るのに何も買えずに、おろしたばかりのお金を見ては、この紙切れが!と情けなくなる。どちらを見ても畑ばかりだ。

和田さん宅を見つけて厚かましいけど無理に上がり込んでしまう。旅の間に自分がとても厚かましく、ワガママになってしまったみたいでとても嫌だ。無理に上がり込んでおいてまだ自分を正当化しようとしている。雨でご飯が炊けないとか、店がないとか。これまでいい人ばかりに会ってきたので、それになれてしまい、甘えるのが当然だと思っている自分を発見する。不親切な人に出会うと、その人は悪い人みたいに思ってしまっている自分勝手。「愚か者め」親切の用意のある人だけが声をかけてくれるのだ。

それにしてもこの辺は、小豆畑が多く和田さんとこも小豆が主食らしい。大きな鍋に小豆が一杯炊いてあった。俺も少しご馳走になったけど、俺にはあじが無くて食べることが出来なかった。俺のためにわざわざご飯を炊いてくれ、家族みんなで暖かくもてなしてくれる。大事な米と麦を見ず知らずな男にわざわざ炊いて、自分たちは味のない豆を食べて!こんなにいい人がいるのに、勝手な自分が恥ずかしかった。

俺の家に俺みたいな汚い旅行者が訪ねてきて「米を少しでも良いから分けて欲しい」と言ってきたら、はたして和田さんみたいに「この辺は米がないので分けてあげられないけど、一緒に食べて行きなさい」なんて優しい言葉をかけ、家に上げ、わざわざ大事な米を炊いて食べさす、なんて事は出来ないんじゃないかと思う。自分たちはそれを食べずに!今の俺は「ああ 有り難い」と思うことしかできないが、何だか胸の奥でジーンとするものを感じる。このご恩は忘れませんからね。

そして美幌町では、お菓子を買いに入った店で、又そこのおばさんにご飯をご馳走してもらう。色々話を聞いて貰い気持ちまで軽くなるし、素晴らしい人にも沢山会えるし、涙が出る程嬉しい。風邪気味で体は重いけど、気を入れて美幌峠を登り出す。少し登るとガスがひどく、ほんの少しの前しか見えなくなる。神戸から来た学生と一緒になるが、彼はこの峠を登る元気も気力もないらしい。ミゼットが来たので「彼を乗せてやって欲しい」と頼み、うまく乗せてもらえたので、又一人で登り出す。

ガスの切れ間に見ると、白樺林が見え、とても景色の良いところみたいだ。車も通らないし、家もなく寂しさを紛らすためにガムシャラに走る。熊がでてきそうで、この日のために首にかけていたお守りの鈴をわざとオーバーに鳴らしながら走る。クマザサばかりの頂上に着いたときは、5メートル先も見えない程ひどいガスだ。頂上には店もあるみたいだが、全部しまっている。

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屋根に煙突、めずらしい

かすかに展望台が見えたので、喜んで中にはいる。今日はここで寝よう。それにしても寒いのには参る。それにとても寂しい。家に帰りたいなあ。風がガラスの割れ目からヒューヒューと気持ちの悪い音を出して吹き込んでくるし、ドアーが閉まらないのでパタンパタンとうるさい。持ってきた荷物を全部体に巻き付け毛布にくるまってもまだ寒い。熊も恐いし、寒くてとても眠ることは出来ない。ナイフを握りしめ、ひたすら朝になるのを待つ。明日はどうか晴れますように。晴れたらきっと美しいところだと思う。

**夕方 美幌峠にて**

美幌峠は今、一面白、不気味なその妖怪が俺をまるで彼方に吸い込まんとドアを開けまねく。まるで俺の心を見透かしたみたいだ。親に頼り、人に甘え、弱い俺がまるみえだ。孤独な今、自分に優しさと強い心を育てることが出来るのじゃないかと、歯を食いしばる。 
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北海道網走郡美幌町 和田 光晴さん

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