日本一周自転車旅行 東京〜宮城県 松島




鎌倉・大仏


・昭和39年7月11日

・宿泊地ー東京(田中さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー晴

久しぶりの晴れ間に気も心も晴れ晴れ。昨日までの寂しさはどこかに吹っ飛んでしまい、心も足も軽く気持ちよくハッスルして走る。

箱根ー江ノ島ー鎌倉と大体下り坂のせいもあるが、こんなに調子よく走れるのは初めてだ。大仏さんの前でふざけて写真を撮ったりして遊んでいると、北海道から来たと言うお寺の息子さんと知り合う、「北海道に行ったら私の家に泊まりなさい」と紹介状を書いてもらう。


浅草・雷門


田中 元子さん

ぜひ訪ねて「息子さんは、元気に旅をしてました」と言う約束して別れる。横浜バイパスでは道を間違え、いつの間にか自動車専用道路に入ってしまい、料金所のおっちゃんに怒られる。仕方なく戻る、途中で金網に穴の開いた所をみつけたので、そこから抜け出て、住宅街のややこしい道を通りやっと横浜につく。

家がいっぱいでご飯が炊けないので、昼食を食べに食堂に入り、お金のかからないものを注文したら、知らない人が「スタミナをつけて頑張って下さい」と卵焼きや魚などをごちそうしてくれる。本当に心から人間の優しさが有り難く、泣けてきた。

東京に入り、田中さんを訪ねる、(浜名湖の上で紹介してもらったお宅)田中さんはもとより近所の人達にまでとても親切にしてもらう。今までの苦労を聞いてもらい、疲れもいっぺんに吹っ飛んでしまった。東京なんて大都会は恐い人ばかりだと思っていたけど、こんなにいい人が沢山にて、知り合うチャンスが出来たことがうれしい、旅に出てよかった。

東京都北区 田中元子さん

※元子さんは、平成13年2月家族に見守られ永眠されました。素晴らしい息子さんをみればその生涯は幸せだったと思います。でも私にとって大事な人、とても寂しい、心よりご冥福を祈ります。

このページのトップへ



北井さん一家


・昭和39年7月12日

・宿泊地ー東京(北井さん宅)
・走行距離ー0キロ
・使用金額ー0円
・天気ー晴

あまりの居心地の良さとお言葉に甘え、もう一泊、今日はお向かいの北井さん宅にお世話になる。

俺が鉄工所で働いているのを知り、北井さんが自分で経営する会社(工作機械製造販売)を見学させてくれる。とてもていねいで、良い仕事をしていて、勉強になった。前夜に続いて北井さん宅の大きな岩風呂に盛敬君と一緒に入り、お化けの話などして面白かった。食堂で何時間もおしゃべりをする。いつまでも話を聞いてもらい嬉しかった。

話が弾んで「今日はうちに泊まりなさい」と言われ、田中さんにお断りして泊めてもらうことになった。二階のきれいなベッドの部屋に寝させてもらう。こんなに幸せで良いのだろうか。この世の中は本当によい人と悪い人しかいないのだろうが、この町内はよい人がかたまっているらしい。

出発の時も沢山の人に見送ってもらい、いっぱいの食べ物とお金(千円)までもらう。本当にお世話になりました。家庭の楽しさ、ありがたさを教えてもらったようで、ここまで頑張った甲斐がありました。さあ頑張るぞ!




東京都北区 北井 麻子さん  盛敬君

※1986年7月1日 豪傑で暖かい「麻子」お母さん、あの世を見に旅立たれました。どうぞ、やすらかにお眠り下さい。


東京 四ツ木橋

このページのトップへ



茨城県境


・昭和39年7月13日

・宿泊地ー水戸ドライブイン
・走行距離ー121キロ
・使用金額ー35円
・天気ー晴のち曇

元気いっぱい東京を出発、田中さんや北井さん、他にも近所の沢山の人達に見送ってもらって、さっそうとスタートしたのはいいけど、千葉に入ってすぐ時計を落としてしまった。1人旅に時計はどうしても必要だ。どうしょうと泣いてみてもしょうがないし、買うにはあまりに高すぎるし・・・

朝の元気はどこかに吹っ飛び、こんな情けない思いをあと何回もするのかも知れないと思うと、ガッカリして足の力が抜けてしまった。水戸まで行けずにダウン。「ぜったいやり抜くぞ」と言う意地はあるつもりだが、精神と筋肉を奮い立たせる根性がどこにも見つからない。でもここまでこれたじゃないかと自分に言い聞かせ、今日は良いねぐらも見つかったので、走るのをやめた。

ドライブインの便所の中に段ボールを敷いて、寝ることにする。ここなら蚊と臭いに悩まされるが、雨の心配をしなくて良いし、みように落ち着く感じさえしてありがたい。

このページのトップへ



日立市 平山君達と


・昭和39年7月14日

・宿泊地ー日立(平山さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー0円
・天気ー晴のち曇

雑誌に「自転車旅行計画中ペンフレンド募集」と載せてもらい、全国から百人以上もの人から手紙をもらい、今まで続いている何人かのペンフレンド、その中の1人で平山君達のグループに今日会える。

時計を無くしたので何時に彼の家に着いたのか分からない、平山君の家族に会って、歓迎されるうちにだんだん寂しくなり、早く家に帰り母ちゃんの顔が見たくてたまらなくなる。平山君が羨ましくてなぜか腹がたってしまった。これからもまだまだ寂しい所をいっぱい走らなあかんのか?

何でこんな事をやりだしたのか、つまらん事をしているのと違いうやろか。今日も同じ愚痴を繰り返し考えてしまう。帰りたいけど今日は足が動くから、今日一日だけ頑張ろう、と思うのと今帰ったら恥ずかしいと言う気持ちが、かろうじて汽車に乗って明日は帰ろう、と言う弱い俺を支えている。来たからはやり遂げて帰ろう。

日立市 平山 敬一君  塚田 泰長君


浜の宮公園

このページのトップへ



・昭和39年7月15日

・宿泊地ー日立(平山さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー0円
・天気ー曇

今日は平山君と塚田君の仲間の人達六人ほどで市内の案内をしてもらう。夜は盆踊りをみんなで見に行く、田舎を思い出してノンビリできたし、大事にしてもらって、とても楽しかった。夕べあんなにせつなかったのが、嘘みたいに気持ちよく、落ち着いている。

平山君も他のみんなも自転車が好きなので盛んに羨ましがったり、おだてられたせいもあると思うが、1日中楽しい時間を過ごすことが出来た。平山君の家庭の味をいっぱい楽しませてもらいました。でも寒いのにはまいった、これからだんだん北に向かうので心細い、真夏だとはとても思えない寒さだ。

このページのトップへ



宇宙通信実験所 右 高橋さん 中 平山君 左 小生


・昭和39年7月16日

・宿泊地ー平市(山野辺さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー0円
・天気ー曇

途中まで平山君達とサイクリングを楽しみながら、見送ってもらう。鵜が巣を作る珍しい所を案内してもらう。いろんな面白い石柱のある海岸でふざけて遊んだり、皆でわいわい言いながらサイクリングをする。

みんなで走りながら俺はやはり我が儘なんだなとしきりに思う。「旅は1人に限る」止まるも走るも自分で勝手にすればいいのだから、なんて生意気なことを考えていたのに、皆と別れて、ものの1時間もしないうちに寂しくなり、あんな事を思ったことを後悔する。これから先いつ家庭の暖かさを味わうことが出来るのか、なんてセンチになり、平山君のお母さんが作ってくれたおにぎりをパクパク食べながら走って忘れることにする。

勿来のあたりで、山野辺さんに出会う照島まで行くけどついてこれたら、今夜止めてあげると言われ、嬉しくなり自動車について一緒に走る。この頃はかなりの峠でもおりて自転車を押すことはないし、スピードでも車の人がビックリするほど出るようになった。今日もいい人に会えて良かった。東北の人はみんないい人達だ。日本中いや世界中の人達がみんなこんな親切で優しい人達であったら、泥棒や戦争など悪いことは起こらないのに。でも人間て心の中はみんな良い人だけど、環境や教育、家でのしつけなどで、悪い心の芽が出てくるのだと思う。

茨城宇宙通信実験所を見学、丁度一緒になった高橋さんと写真を撮る。「人は皆温かき心で他人を愛す。愛する心の芽を伸ばす人こそ真の人間なり」


※栄吉さんの若いときは職業軍人で、時の日本のために働き、近年は自宅を子ども達のために私塾として解放、まさに死ぬまで日本のために働いた。昭和60年6月14日、その波瀾万丈の人生を閉じる。書道の大家でもあった氏が私に素晴らしい掛け軸と「私の軌跡」という立派な一生記を残してくれました。その本の中に「財はなさなくても人生に悔いがない」という言葉が出てきます。栄吉さんを語るには、真にピッタリの言葉だと思います。どうぞやすらかに眠って下さい。

いわき市平四軒町  山野辺栄吉 ミドリさん

このページのトップへ



千葉から来た男


・昭和39年7月17日

・宿泊地ー国鉄 郡山駅
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー160円
・天気ー小雨

栄吉さんの家族に見送られて出発。おにぎり、お菓子、お金など、真心をいっぱいもらう。心に残る人達である。

雨がパラパラしている最低のコンディション、今日一日が心配だ。
「泥水をはねて逃げるは 観光バスかな」
ほとんどの車が徐行をしてくれずに、泥水をかぶせて走り去る。腹もたつし惨めになる。

80キロ走ったら、「篭場の滝」と言うところに出る。美しいのに見とれる。たばこ畑や桑畑の中をしばらく走ると、やがて枝振りの見事な松並木に又ビックリ、何とさりげなく美しいところが、大阪の人にも見せてやりたいが、ここは俺が1人楽しんでやろう。こんなに素朴で気取りが無く、自然がほほえんでくれそうなところで、キャンプでもすれば長生きできるんじゃないかと思うが、俺はそんなのんきなことを言ってはおれないので、あくせくと走り出す。

午前中郡山であった千葉から来た学生は、今日は何処で寝るのやろう。うまく寝るところが見つかればいいのに。 俺は長い石段のお寺に行き、泊めてほしいと頼んでみるけど、あっさり断られる。雨を防ぐために郡山の駅に行き、怒られないかと心配しながらベンチに寝る。
「山あいの深い霧に包まれて しくしくと母を思う」

このページのトップへ



猪苗代湖で


・昭和39年7月18日

・宿泊地ー長浜(観光船の中)
・走行距離ー91キロ
・使用金額ー223円
・天気ー雨

ゆうべ駅のベンチで過ごし、家がないのか、帰りたくないのか、わりかしパリッとした人が、ベンチで何人も夜を明かしているのに驚いた。乞食も多く、ちゃんと自分のベンチが決まっているようである。俺みたいなのは1人だった。

夜中に酔っぱらいに揺り起こされるし、うとうとしたら今度は「仕事に行かないか」と、何だか気味悪い人に起こされるし、自転車を取られないかと心配になって,まるで一睡もしていないくらい疲れた。
「にくしみも愛する心も紙一重、信じる心が最高だ」郡山駅にて。

さあ出発だ。猪苗代湖と会津若松に向かい、ひどいデコボコ道をひたすら走る。雨もひどく、顔が痛いくらいだ。自転車に、途中で採ったささ百合の花をさして自分を慰めながら、凍える手と足にむち打って走る。猪苗代湖のあたりは、まだまだ雨足が強く、若松が心配だ。

会津若松に入ると、運良く雨が上がってきたので嬉しくなる。鶴ヶ城跡と白虎隊の墓に行く。松林の中に、まだ幼い人達の墓があっちこっちにあり、どんな思いで切腹したり、差し違えたりして死んでいったのかと思うと、胸がしびれる。俺だったらどうだろうかと考え、恐ろしくなり、結論は出せなかった。腹が痛かったろうな、最初腹に刀の先がちょっと入るまでが一番辛いのじゃないかと思う。若くして死んでも、百歳まで生きても一生に変わりはないし、どちらが良い悪いとは言えないだろうが、やはり自分で命を絶つというのは、間違っていると思う。


白虎隊の墓に参る

又小雨になった。寝る場所を探しながら、元きた道を引き返す。国民宿舎に行ってみたが、長浜の花火大会のせいで一杯だった。しかたなく、舟の中に黙ってもぐり込み寝る。明日は早々に立とう。
「でこぼこ道に勝って 目の前の景色が俺に微笑みかける まるで人生みたいな自転車旅行」
その美しい観光地が、まるでゴミ箱みたいに、ゴミが一杯なのはどうしてだろう。

このページのトップへ



真っ黒の私


・昭和39年7月19日

・宿泊地ー蔵王町(佐藤さん宅)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー雨

最低だ。長い雨のために体にカビが生えそうだ。長浜の舟を出発してからも、雨が降ったりやんだり、気が狂いそうだ。もう雨なんか一滴もいらない。

昼頃山野辺さんに紹介してもらったお寺に行ったが、住職さんが留守だったので、少しガッカリしたけど、時間もまだ早いので、お寺の石段の下で汚れた靴を洗い、気を入れて又走る。食堂で一緒になった東京の学生と福島市内まで一緒に走る。彼と別れて、時間はまだ早いけど蔵王町の看板の過ぎたとこで、きれいなバス停を見つけ、今夜はここで寝ることにする。

気持ちよく寝てるのに単車に乗った人に起こされる。その人が言うには、「このバス停はこの前殺人事件があった場所で、君が寝てるのが気になり引き返してきた。」とのこと。話を聞くと、今まで俺が寝てた様に頭も足も同じようにしてたらしい。ご丁寧に自転車まで同じように前に立てかけてあったそうだ。気持ちが悪いので眠い目をこすりながら走り出す。少し行くとその人が待っていてくれ、「こんなに遅く可哀想だから俺の家に泊まって行きなさい。」と言ってくれる。思わずバンザイをしてしまう。

その人の単車について随分走ったがナカナカ着かない。その内になんだか気味悪くなってくる。この人がその殺人犯人で俺も殺そうとして、いい場所を探してこんなに遠くまで俺を引っぱってきたのじゃないかと思いだし、途中からナイフを握りしめて後に付いていく。その人の家に付いたときは、ほんまに体中の力が抜けてしまった。

その人(佐藤さん)はどうやら「カカア天下」らしく、俺のことを「戦友の子供で、そこでバッタリあって懐かしいので連れてきた。」と奥さんに嘘を言ったので、俺は返事につまった。奥さんの前で心が痛んで困った。今日一日の何と長かったことか。

宮城県刈田郡蔵王町  佐藤さん




松島ボート乗り場


・昭和39年7月20日

・宿泊地ー天龍(舟)
・走行距離ー?キロ
・使用金額ー?円
・天気ー晴

晴れた晴れた、心の中まで見事に晴れた。 佐藤さんの奥さんは、全ての嘘をみんな解っていて、あくる朝おにぎりまで作ってくれて、明るく送り出してくれた。嘘を付いてごめんなさい。

一時過ぎに松島に着く。良い日には良いことが多い。早速今日のねぐらが見つかった。「天龍」と言うモーターボートだ。天下の松島湾を巡るボートである。


国宝五大堂

昼間はボートに乗るお客さんの中に交ぜてもらい何回も湾内を回る。お金はお客さんが払い、俺はただニコニコして座ってるだけ、自転車旅行のことを聞かれたら、えらそうにしゃべるだけだ。みんな感心して聞いてくれるので、今までの辛いことや、寂しい思いをしたことがとても良かったと思った。売店の人達もいろいろ聞いてくれて、親切にしてくれる。今日はウキウキと楽しい1日だ。

キャプテンの西岡さんにご飯を炊いてもらい、二人で食べる。みんな親切で、他の観光地と比べても美しいし、ここは良いところだと思う。しかしちょっと海が汚いし、まるで作ったような島ばかりが並ぶこの景色は、俺には少し物足りなくあいてきてしまう。五大堂は国宝であるが、俺にはその良さが勿論解らない。松島の人達ごめんなさい。もう一つ日本の女性について、ズーズー弁をしゃべっていても、化粧の香りは都会も同じなのを発見する。

このページのトップへ 前のページへ 次のページへ