日本一周自転車旅行 和歌山、三重




・昭和39年6月29日

・宿泊地ー田舎自宅
・走行距離ー33キロ
・使用金額ー20円
・天気ー曇

出発してまだ3日だと言うのに、家に帰ったらもう止めようか、なんてちらっと思う。早く母ちゃんに会いたいのと、台風3号と4号が一緒にきているために焦りが、勝浦駅をまだ、うす暗い4時すぎ出発する。

那智の滝に向かって走りだしたが、途中で早く田舎に帰りたくなり、一目散に田舎に向かう。7時5分和歌山県を走りぬき三重の田舎に着く、気がゆるんだせいか急に足がふらふらしてバテてしまう。こんなことでは先が続かんことを痛感する。

日本を一周するなんて、無理じゃないかと思ったりもする。ここで頭をかいて大阪に帰るか、居こごちの良い田舎で仕事をさがそうか、その方がどれだけ楽か、しかしやり出したら最後までやりとげにゃ、

大阪の父ちゃんから電報で「一日待て」と言ってきたので、のんびり待つことにした。父ちゃんが2万円送ってくれた、無銭旅行だからお金はいらんと思って出てきたが、食べ物は買うしかない、ありがたく貰っておく、これで心強い。

このページのトップへ



熊野 獅子岩

・昭和39年7月4日

・宿泊地ー国鉄、尾鷲駅
・走行距離ー76キロ
・使用金額ー160円
・天気ー晴

さあ、再出発だ。いよいよ後にはひけない、母ちゃんに見送られて田舎を元気に出発、熊野灘、尾鷲湾を見下ろす矢ノ川峠の茶店で嬉しさをかみしめている。曲がりくねった大きな峠(矢ノ川峠)を3時間以上も自転車を押してノコノコ歩いた後だ。しかしこれから先のことを考えると心配になってくる。


矢ノ川峠



気休めだけの身分証明証

尾鷲駅にはまだ明るい5時30分頃着いた。山道ばかりが続いたのでもう足が動かない、周囲の人に気兼ねをしながらさっそくベンチに寝る、夜中におまわりさんに起こされて「名前は」「住所は」「親の名前は」などなど、くどくど聞かれる。そして揚げ句に「こんな所に寝たらダメだ」

夜中に懐中電灯で人の顔をてらしながら職務質問と文句を言うだけ言うておいて、今更何処に行けと言うのだ。無理に駅のベンチで寝る。

このページのトップへ



・昭和39年7月5日

・宿泊地ー四日市・堤防
・走行距離ー117キロ
・使用金額ー250円
・天気ー曇

今日も道路が悪く、とても国道(42号線)とは言えなかった。ひどいジャリ道ばかりで、ほこりと汗まみれ、その上疲労の為に、ダウンしそうになる。道ばたの小さな店のおばさんに、親切にしてもらう、ご飯を炊いてもらい、食べたら少し元気がでた、ほんまにおおきに。

再びがたがた道を走り出す、夕方広い町にパッと出る感じで、出たのが「松阪」だった。ほんまに嬉しかった。学校とお寺に「泊めてほしい」とたのんでみたが、「そんなことをした事がない」とあっさり断られる。お寺などに行けば何処でも泊めてくれる、と聞いていたけど、やはり世間は甘くない、仕方なく又足にムチ打って走り出す。


国道1号線

真っ暗になって、やっと四日市に着き、寝る場所をさがす。堤防に寝ようと川を少し下り、いい場所を見つける。しかし夜中にへんな男どもがウロウロするので、気持ち悪くて寝ていられない。ここなら誰にも邪魔されずに寝られると思ったのに腹が立つが怖い。ついついナイフを握りしめて寝る。

前のページへ 次のページへ