ヨロヨロ旅行記 世界一の棚田の旅(中国 昆明編) 2008年3月4日(火)〜3月11日(火)


‥‥出発前‥‥

20年程前家族で行った「タイ」を最後に、もう海外旅行は卒業と自分の中で決めていた。

自由の身になってからは、ご存知の通り気楽な放浪者として日本中旅をしているが、昨年 棚田の旅をしていた時知り合ったカメラマンから、「元陽の棚田は世界一で、あそこを 見ないで棚田は語れない」と聞かされ、チャンスがあれば行ってみたいな〜ぁ!と言う のが中国行きのきっかけです。

でも毒入り餃子が連日取りざたされ、あの国自体が嫌いな 私は「きっと行く事はないだろう」と、心の隅の記憶として、薄ぼんやりととどめていたが、 2月が元陽棚田の適期だと知り、急に「行ってみたいと」取り付かれてしまった。

けしかけた人にメールをし、撮影専門の旅行社を2社紹介してもらったが、そのどちらも 元陽棚田の旅は、人数が集まらず、旅行は中止になっていた。大手の旅行社もやはり成立しなくて中止にな ったと言う返事で、そうなると余計行きたくなるのが我がままな私の悪い癖、パソコンで 調べてみると「クラブツーリズム」さんが、2〜3月のベストシーズンに「菜の花と棚田 を見て回る欲張りなツアー」を発売していた。

しかし2月はもうすでに売り切れていて、遅いかな と思いつつも3月4日出発のツアーにもぐり込むことができた。

2月下旬、一応旅の用意をして、田舎に帰りいつも通りごそごそして、早い目に大阪に帰ったが、 荷物を降ろし「やれやれ」と思うが早いか、田舎の親戚から電話「すぐ帰ってほしい」 一番恐れていた知らせに、着替えも持たずに折り返し田舎に帰った。

帰ってみると母親の 状態はかなり悪く、食べ物が食べれないので体に力がなく、全身が震えて眠れないのとで 寝たきり状態だった。

先日はそんな素振りは無かったのに、人間の体の微妙さに驚いて しまう。一人暮らしの寂しさにたえていたが、それが耐えきれずに糸がきれてしまい、 急にウツ状態になったらしい。

我々夫婦が帰ったことでどうやら落ち着き、命にも別状ないとのことでもあるし、ドタキャン は旅行費がもったいない、なんて理由にならない理屈をこねて、嫁にまたしんどい仕事を 押しつけ、私一人ぎりぎりの時間に関空に!

何年か前、息子がアメリカ留学の時もテロの 「同時爆破」騒ぎで荷物の検査に手間取り、ギリギリセーフの出発!ばたばた騒ぎの海外旅行は我が家の慣例に なってしまったようだ。

旅行に先立ち私の携帯に旅行社の添乗員より「サングラス、雨具、マスク」などの用意を してきてください。それとトイレやホテルのシャワーなど環境が日本で想像する何倍も悪 いので覚悟しておいてください、などとおどかされたが、多分本当の話だと思う。


私が乗った(CZ390)

関空を飛び立つ日本の飛行機
●1日目  関空→広州→昆明

一人キャンセルがあっても24名と言う初体験のでっかいツアーだ。岡山、兵庫、京都、滋賀、 大阪と近畿各地から、観光目的と写真撮影の人たちが集まって来た訳だが、皆さん世界各地を 旅した旅好きばかりで、私が「あまり観光旅行は好きではありません」と言うと一応に ビックリしてくれた。

さて飛行機は「中国南方航空」なので気の弱い私は保険に入るべきか ?迷ったが、死ぬ覚悟をする程のこともあるまい?とパイロットを信用して機上の人となった 飛行機は思ったより新しい、しかし当然のように遅れて出発!機内ではまず装備の説明など あるのが当然だと思うし、しばらくしたら機長の低音の渋い挨拶があったりするもんだが、 そんなものもなく、何とも無愛想に雲の上に飛び立ってしまった。

救いと言えばこの便は ANAとの共同運行便で日本人の乗務員が乗っていて、中国語、英語に続き日本語での案内があり まるで「私が乗っているから大丈夫ですよ」と聞こえたではないか!日本人もええかげんで 凶悪な犯罪をニュースによると犯し続けているが、こんな時は日本人はみんな良い人に見えて 来るから単細胞な自分にあきれてしまう。

しばらくしてドリンクのサービスが回ってきた、 コーヒーを頼んだが案の定インスタントだった。突き出しにピーナツが付いてきた、日本では 最近中国産の食べ物は食べないようにしていたが、退屈なので食べてしまったが、これから 毎日農薬がジャブジャブかかった野菜を食べるのだから「そんなん関係ねー」と図太い神経で行かない と、カロリーメイトばかり食べて旅を続けなければいけないはめになってしまう(念のために一日 1個の補助食品は持って来た)


不覚にも完食してしまった機内食
機内食がきた「ビーフかシーフードか」と言うので、変な魚だったら嫌だな?と思いビーフ を頼んだが、最近は食べた事が無い分厚いステーキが乗っていて、一瞬「これは体に悪いな」と思い 横の人を見ると、シーフードの方を食べてる、美味しそうなエビが入った焼き飯風で「シーフードに すれば良かったな〜!と後悔、帰りは絶対シーフードにしてやる、と誓った(帰りは選ぶ余地 はなく、ビーフしか残ってなかった。)しかもビーフの機内食はうまかったのが悔しい!

こんなに早い時間の夕食は初めてで、近年にないボリュウムで浅ましく完食してしまったので 苦しい!今回の空の旅はコトリとも揺れないフライトでまるで飛んでないのではないかと錯覚 してしまいそうだ、しかし陸地が見えだしたとたんに、黄砂なのかスモッグなのか?はるか下 の陸地はかすんでしまった。気温23度、空港全体がスモッグの匂いがして薄暗い感じがする。 しかし広州の空港の広い事、関空など逆立ちしてもハブ空港として勝負に成らない気がする。

国内線で昆明に、そして遅い食事をしてホテルに入ったのは深夜1時15分、もうみんなフラ フラでした。相部屋の人は奇しくも字は違うが同じ名字の人で、楽しい旅を予感する出会い になった。

●2日目  昆明→羅平
‥昆明にて‥

4ッ星の?昆明飯店(ホテル)

3年ほど前からは、国民は何処にでも自由に住めるようになったらしく、お金を儲けた人はみんな昆明に 住みたがるそうです。

その結果、町は急激に発展し、道路は作っても作っても車でいっぱいになり、 農地はビルにのみ込まれ、どんどん町が外へ外へと広がり、作ったときは畑のど真ん中の飛行場 だった「昆明空港」も、今は町のど真ん中になってしまい、また新しい空港を作り直しているそう だ。

街もしかり、10年程前に出来た新しいビル群が、ある日政府の命令でこの当たり一帯すべてに 立ち退き命令が出て、有無を言わさず何キロ四方と言う瓦礫の山が出来、何年か後に新しい街が無秩序に出来る 、そんなことの繰り返しがここ何年と続いているそうです。

文化遺産の何たるか?と言うことが最近 分かりだしたが、昔の文化や歴史を語る建物は昆明はゼロだそうで、今は新しい建物を壊して、 古そうに見える建物を建てるのがはやっているのだそうです。笑えない話ですが次もそんな話の 一つです。

便利でかっこいい車が町にあふれ、若者は自転車ではモテず無理をしてバイクを買い 、そしてもっとモテたい人は車を買う。

その結果、町は車で身動きもとれず、自転車で15分で行け た会社が車で1時間もかかるようになったが、喜んで早起きして車で通勤しているそうです。

どうも中国人は外見を大事にするように感じられた。ホテルなども外見は立派だが、シャワーが 出なかったり、エアコンが壊れてたり、サービスの仕方が分からなかったり(地元添乗員の 面白い表現には笑ってしまった)で、新しいホテルなのにとガッカリすることが多いらしい。


朝の通勤風景(信号はまもられている)

ホテル前の交差点

バス移動一日目にしてその交通渋滞を経験することになる、まず約束の時間になってもバスは ホテルの駐車場にあるのにバスに乗る事が出来ない。運転手が渋滞に巻き込まれたようで、 なかなか来ない。みんなから自転車にすれば良いのに、と声が上がり朝一から盛り上がる。

新しい道が増えたが、それ以上に車が増え警察官もどうして良いか分からない程の混みようなの に、道のカンバンや道路標識は古いままで当てにならないこともままあるそうだ。

昆明の町造り はまるで小学生が工作の時間に作った模型のように不完全で、計画性のないそんな町が突然出現 して、やっと道を覚えた頃又その町は取り壊される。前に来たときにあった美味い店に行ってみ ると、そこら一帯はもう何も無い!そんなことはよくあることで、信用する方が間違っている そうです。


街の桶やさん

提灯やさん

そして驚いたことにほとんどの地方都市の地図は今でもないそうです。だから地図を 見ながらドライブなんてことはありえな〜い!そうです。

驚きついでに運転技術はと言うと、 まず第一が根性で、クラクションを鳴らしてギリギリまでブレーキを踏まないで突っ込んだ者の勝ちで、 ラッシュアワーの町では車、自転車、バイク、人、馬車まで入り乱れてのものすごい光景が目に 入り、思わず「ヤッター」と叫んでしまいそうだが、1センチ程の見事な間合いですり抜ける技は さすがチャイニーズ!と叫んでしまう。

‥西山(せいざん)龍門着‥

ケーブルカーから見た昆明湖

市内の混雑を避け、遠回りして西山(せいざん)龍門に着いたのは、予定時間は過ぎていたがこれが 中国時間らしい!

絶壁の岩をくり抜き階段が造られ「龍門石坊」や「達天閣石室」の石刻建築が彫 られ、目もくらむ絶壁から下を見ると、キリで霞んではいたが昆明湖(別名てんち)は迫力の絶景

龍門と言う石の門があり、登竜門と言う言葉はこの門をくぐることから出来た言葉らしい。

我々 はケーブルカーで上まで登ったので、そのしんどさは分からないが、その石をくり抜いて造られた 急な階段を降りてお参りしたので、その急峻さはよく分かった。


岩をくり抜いて作られた龍門

龍門を望む

皆さん合い言葉は滑らないように 、だったが、雨にぬれた石段はよく滑り、私は見事に「スッテンころりん」と滑って転んだが、 カメラを運良く手で持っていて、壊さずに済んだが、果たして私のスリ傷が治ったのは日本に帰って しばらく立ってからだった。


転んで痛いのを我慢する私

若者の祈り
‥「華亭寺」‥

狛犬ならぬ狛ゾウ

西山の次に行ったのが「華亭寺」

。道の脇にあったので、おまけに寄った?そんな感じではあったが キンキラの仏像は成る程なぁ〜あ!と言う感想か!入り口の狛犬がゾウさんだし、仁王さんが龍を 従えていたのも中国らしい!

時間も遅れ遅れて昆明のレストランで昼食。何が入っているか分から ないが、どの食べ物もそれなりに美味かった。昼と夜はビール(サイダーのように薄い感じ)が 店のサービスと称して付いてくるので、日本人観光客は良い客なのかも?

このレストランは帰りも寄ったが、そのトイレは圧巻!何と大が2人仲良く並んで出来る?合理的 なもので、ここだけで見つけた貴重なトイレだった。


仁王門も龍を従えて
‥沙林着‥

沙林

そして一路バスで2時間半、沙林へ、発音は「サリン」物騒な読み方だが、なんて事無い、細かい砂 が何色かで出来上がった砂山と言った感じだ。

三国志の映画撮影で使われた所らしく、セットが残 ってたが、ヨン様の撮影現場に比べたら実に地味なものだった。


沙林の入口(映画のセットの名残か?)

どこからともなく現れた篭屋

我々を見つけたら何処からとも無 く篭屋さんが群がり「30元、30元」とうるさく付きまとい、終いには10元に成ってしまった 。誰も乗らないし、土産も買わない「日本人ケチね」と言う声が聞こえて来そうだが、売れないと 分かったら実にクールになる。はっきりしていて面白い。

同じ道を辿り羅平の金太陽酒店と言う ホテルに入った。かなりのボロ(歴史のある)ホテルだった。

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