大阪暮らし2 2002年4月ー2




2002年4月16日(火) 生き甲斐とは
2002年4月18日(木) 若者はうらやまし
2002年4月19日(金) 一流会社の傘の力
2002年4月20日(土) そよ風と鯉のぼり
2002年4月22日(月) よく生きるとは
2002年4月23日(火) 少しだけやさしく
2002年4月24日(水) 小さな幸せを
2002年4月25日(木) 私も意地悪でした
2002年4月27日(土) 私のお腹にはストレスが
2002年4月28日(日) 今日は仕事でしたよ〜




2002年4月28日(日) 今日は仕事でしたよ〜

今日は全国的に日曜でセルフの洗車場は、満員で順番待ちの車が出るほどでした。私はと言うと、遊び大好き人間に似合わず、仕事でした。

そこで皆さんにもその雰囲気を味わってもらおうと、写真を撮りましたので、今日はそれを見て下さい。こんな仕事もあることを知ってほしいです。

この写真は岸壁での本船作業の様子です。後ろにある大きなグレーンはガントリーグレーンと言い、本船へのコンテナーの積み卸しの機械です。今着いている船は多分中国船で、コンテナー船では漁船クラスの小さなもです、大きな本船なら3万トンクラスの船も大阪に入ります。もっと大きな本船が大阪に入港予定で、大きすぎて入れないので、オリンピック招致の予定地だった所を新しく大型船のために作ってます。

このトレーラーの列はコンテナーを積んでもらうための順番待ちの車です。これはまだ一部でこの後ろにまだいっぱい並んでます。長いときは5〜6時間も待たされる時があります。そうなったらもう運賃など合うはずはありません。昔はともかく今は会社は大変です。でも運転手はもっと大変です。

やっと順番が来てコンテナーを積めるようになり、テナーと言うクレーンで、ヤードに保管してある、コンテナーをトレーラーに積んでいるところです。

shige


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2002年4月27日(土) 私のお腹にはストレスが

今日はお天気も良いし、連休に突入でウキウキしているので、いつもの怒りがわき起こらないので、何を書いていいか解りません、(明日28日は仕事ですよ〜!トホホホ)

このまま、やすらかで、やさしい年寄りになれればいいな、なんて「らくちん」な事を思ってます。だが現実は「箸のこけ方がけしからん」なんて、つまらない事で急に怒りだしたりする自分を押さえることも出来ず、そんな自分自身に又腹を立てる始末、そんなことを繰り返して55年、解りかけたような事言ってはいても、進歩もなく、ただの太った子供みたいなおっさんです。

我が家の平和はひとえに妻の我慢に支えられた、悲しいものであり、そんな事は百も承知している自分にたいして又腹が立つ、それがたまり、またまたお腹が出てくる、そう私の腹はストレス太りなのです?「気短で、根暗で、わがまま、あきれるような男」であり、友達にはしたくない人種かも?

こうして自分を分析してみると、出会いのありがたさを想わずにいられません。この雑記帳はこんな、私の事を解ってくれるかも知れない、友達の顔を思い浮かべながら書いてます。反省だけなら、猿でも出来る、と言いますが、行動を伴う反省はほんまに難しい、究極の生き方を教えてくれる人を捜す能力が自分にないのが悔しい、山にこもり裸になるのが究極とは思えず、インドの聖者のようにも生きられず、今はまだ自己満足の域を出ず・・・

中身のない頭で少し、似合わぬ真似をしてみました。今日も又暗くなってしまいました。ゴ−ルデンウイ−ク突入!明るく、楽しく、3〜6日まで田舎のログに居ます、どうぞ自由に遊びに来て下さい。狂牛病に侵されてない肉でバ−ベキュ−でもしましょう。(お酒は持参願います)

shige


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2002年4月25日(木) 私も意地悪でした

きょうはどうでしたか?ちゃんと優しく出来ましたか。私は今日もちゃんと気を付けて運転しましたよ、そうして気が付きました。今までなんと意地悪で、せっかちな運転をしていたものか、と反省をしてます。

自分では無茶な運転はしない方だと思ってますが、無茶な運転をしないかわり、他の車が無理な割り込みをしたり、急に曲がったり、止まったり、こちらがビックリするような無謀な運転をされると、内心腹を立ててました。「あなた一人の道路じゃ無いんだから、ル−ルをもう少し守って運転しろよ」なんて心の中で独り言を言ってたようでして?

でも自分の心を眺めながら運転してみると、小さい小さいと言う声が何処からか聞こえてきて、ア〜この人は、ル−ルを覚える余裕も無いのか、よほど急いでいるか、後ろから悪魔におっかけられ、あわてているのだろうかと、気の毒で笑えてさえ来ます。

そんなに急ぐことは無いと教えてやれば良いようなもんですが、どんなに丁寧に教えても、残念ですが「解らない人には、わからない」ものなのです。自分の能力を越えた理解は出来ないのが悲しいです。それが出来るのなら、とっくに人類は「ブッタ」や「キリスト」他に沢山の聖人や哲学者の教えを理解し、実践し、完成された人間として、まことの平和を手に入れているでしょう。

こんな愚痴を言っていても何にもなりませんので、この先を見た人は、自分への「優しさの探求」を絶え間なくし続けることを命令、いや、でなく提案したいと思います。

shige


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2002年4月24日(水) 小さな幸せを

さて、今日はいつもより、もっと優しく過ごせましたか。私はもうバッチリでした。しかし私達の代表として送り出している、国会議員の皆様は私達国民の為に毎日頑張っていると信じておりますが、誠意と優しさの足りない人が次から次へとテレビに忙しく出てまいります。

国会の先生から、役人、はては取り締まるべき警察官まで、税金から給料をもらっている人達がゾクゾク。真面目な人の方が少ないのじゃないか、と思ってしまいます。今まで何処で何を学んできたのか?

名もなく、地位もなく、コツコツと真面目に働き、ファミリ−の幸せを夢み、毎日毎日つつましい生活を送っている、我々庶民だけが泣くような国には、してほしくないものです。

小さな幸せに、気が付かない人は、大きな幸せなど見つかるはずはありません。一歩で山の頂上に立てる人はありません、一歩一歩自分で歩くしか頂上に近づく道はないようです。多くの人が近道を探して進入禁止の道に分け入る、良い年寄りが、みっともないニュ−スになってしまう!

つねに日の当たる道を歩いていたら、山の頂上に立っているのに気が付き、自分のささやかな生き方に満足するものです。人間はいつも自分に言い聞かせておかないと、忘れっぽいようです。国会の先生方を見て御覧、当選の時、テレビの前であんなに嬉しそうに、「有り難う御座います、」「頑張ります」と誓っていたのに、何時の間にか国民の為ではなく、自分のためにだけ一生懸命頑張っている始末。え・私の選んだ人ですか?誰に入れたかさえ忘れてしまいました。合掌

shige


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2002年4月23日(火) 少しだけ優しく

前回の屋久島を大事にしている人の話の続きですが、都会にも昔は自然がいっぱいあったはずです。自分たちの便利さとお金の為に、すべてを壊しておいて、今度は自然の残る田舎に「自然を壊すな」と声だかに叫ぶ。 勝手な人間の一面を見せつけられ、腹立たしささえ感じる、とのことでした。

どうも現代人は、白か黒、上か下、と言った両極端を好むようです、どうも昔の人の方が頭は柔らかで、自然で流れる水のごとく自在だったのではないだろうか、とは言え、文明が何度も滅びた過去の歴史を見れば、人類が栄えると、みずから滅びの道を選ぶようです。今がその滅びの坂道を転びだしたのであれば、過去のどの時代よりも優れた情報と、教養を持った現代人は、きっと乗り越えられると思います。難しいことは解りませんが、みんなが少しだけ、もう半歩だけ、前から来る人のために、道を譲れば、きっと「ありがとう」と言う声が聞こえてくると思います。

もし聞こえて来なくても良いではありませんか、人生は損するためでも、得をするために生まれてきたのでもないと思いますよ。中道の道をつつましく歩いたなら、平和は来ると思います。まず他人がではなく、自分から今よりも、ちょとだけ自分と周りの仲間と自然に、やさしくしようではありませんか。ほんのちょとの事でで人生が変わるかも知れません。少なくとも自分の精神は平和になります。

ここまで考えながら書いただけで、私はすでに少しだけ明かりが見えるような気がしてきました。単純だな、と言う声が聞こえてきそうですが、雑音を気にせず、単純な人生が送れたなら、その人は達人!私はそう思います。さあみんなで少しだけ・・・・・

shige


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2002年4月22日(月) よく生きるとは

屋久島の縄文杉のドキュメントを、テレビで見ていたら、島のガイドをしている人の、話の中で「どうして縄文杉が今まで生き残る事が出来たのか」何千年と生きてきた他の屋久杉はどんどん切られていく中、この縄文杉だけは、コブが多いために板にも出来ず、見捨てられた為に、今まで生き延びた、と言うお話がありました。

老子の講義のなかに「曲れば 則ち 全し」・・・・・と言う教えがあります。真っ直ぐな木は、良い木材として、伐採される恐れがあります。これに反して曲がりくねった木は、役立たずとして、見捨てられる。人間の(他人の)役に立たない反面、木としては自己の生命を全うすることが出来る、

自然とともに生きると言うことは、現代の地球に生きる人間には、難しいことなのか、役立たずの人間になると言うことは、どう言うことなのか、役に立つ賢い人間ばかりが増え、地球がこんなになってしまったのではないのだろうか、

はるか昔の、人類がまだ自然の一員だった頃から、生きている縄文杉が、現代に生きる人間になにかを語りかけているのではないだろうか。

shige


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2002年4月20日(土) そよ風と鯉のぼり

我が家から歩いて5分ほどで、日本でも1〜2を常に争う有名な「大和川」(残念ながら汚さ日本一です)があります。今日は休みなので堤防の下にある、ガソリンスタンドへオイル交換をしてもらいに行って来ました、ついでにタイヤのロ−テ-ションもやり変えてもらうことになり、時間がかかりそうなので、買ったばかりのデジカメを持って爽やかな風の吹く堤防に行ってきました。

河川敷では、鯉釣りを楽しむ何人もの人達が竿を並べています。親子連れの楽しそうな笑い声があっちこちから聞こえてきます。その中で一番幸せそうにしているのが、写真の鯉たちです。気持ち良い風に一斉に泳ぐ緋鯉、真鯉、子鯉、孫鯉、には大人でもウキウキしてしまい。周りはいっぱいの野の花が咲き、心地よい風につつまれて、孤独で幸せな短いひとときを堪能しました。

shige


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2002年4月19日(金) 一流会社の傘の力

街路樹のつつじが満開です、でもつつじさんには悪いですが、私はこの様な咲き方があんまり好きになれません。いえ・花にではなくその植え方にだと思います。お前達は花を咲かすしか個性がないんだから、とりあえずこのガラ−ンと空いた場所にかためて植えて置け、なんてそんな声が聞こえそうな植え方にです。その気で見るとツツジの花も何となく「咲いてやる」と言わんばかりのバカ咲きに思えませんか?

今日は一流と言われる電気メ−カ−に荷下ろしに行って来ました。出勤する、従業員の人達のなんと、さっそうとしてる事か、見る方の先入観の違いか、同じように作業服を着て現場で働く労働者なのに、歩き方まできびきび、自信ありげ、これが一流会社の傘の力なのか?同じように道行く人との違いを感じました。自信にあふれた人は美しいが、気を付けないと「鼻持ちならん人」になってしまう恐れあり。

会社の中でのスロ−ガンも「気」をつくり、お客様に応えます。とあった、なんとウンチクのあるスロ−ガンかと感心しきりでした。この会社のトイレにも入ってみた、現場なのに美しくしてあり、換気扇はさすが自社の試作品のラベルあり、さすが!

長い不景気で大阪の道路も渋滞が随分緩和され、おかげで私の通勤時間も短くなった、とは言え喜んでばかりはいられない、仕事がヒマなのだから、その分給料日には、銀行の数字となって跳ね返ってくる。そして当然、働きバチ(友は遊びバチと言いますが)の私のお小遣いを直撃!あぁ〜つらいぞ〜

shige


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2002年4月18日(木) 若者はうらやまし

先日、長男の下宿に行って来ました。男臭い部屋に、「若い頃の私の部屋はもっと、ず〜っと汚かったな」などと昔を思い出してました。夕刊を配るために出かけた長男の部屋に妻と二人残り、少しかたずけをしながら、何もない部屋ではあるが、一人暮らしの部屋は、これから自由と、夢がいっぱい詰まって行くのかと、うらやましかった。

一生懸命働く若者達よ、その中でも日曜も祝日もなく、毎日夜中の二時頃には起きだして、新聞配達に出かける、全国の学生さん達のことを思うと、ガンバレよ、頑張れよ、祈りたいです。

あきらめずにやれよ、配達先には、毎日の朝夕刊を楽しみに待っている人達が居ることを忘れず、毎日の仕事に張りを持ち、イヤイヤしないよう望みたい。お金を払った読者に直接、感謝の言葉はなくても、どこかで誰かが喜んで居るはずです。他人はどうでも自分の満足度と、精神力は高まります。

君たちは、毎日配っている新聞の紙面を賑わす、つまらん人達のようにはならないでしょう。自分に出来ることをコツコツやる。そのような若者が増えて行くことを祈る想いです。世の中にいっぱい居る、ダメな人間は、自分に出来ないことをやろうとしたり、無理難題を他人に押しつけたりする人だが、そんな愛情のない、つまらない人間になって欲しくない。

今の苦労を余裕を持ってながめてほしい。これからは本物の人間にならないと、地球を滅ぼしてしまいそうです。本当の痛みを知った人だけが、他人の痛みも分かるのです。コツコツ自分を磨く、残念ながら近道はないようです。抹香臭くなりましたが、何もない長男の部屋を見て、シンプルな生活が人間には必要なのだと、再認識した一日でした。

shige


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2002年4月16日(月) 生き甲斐とは

人間はいったいどう言う生き方をすれば、自分が納得できるのだろうか、クソ真面目に生きるのがいいか、少しぐらい人をだましてでも、うまく生きるのが良いか、

一病息災とか言いますが、あそこが悪い、ここが悪いと言いながら、病院で死なせても貰えず、何時までも生き続けるのが良いか、どっこも悪くなく元気そのもので、ある日コロッと逝くのが良いか?

どんなに考えても自分の思うようにならないのが寿命であり、自分の体であってもほとんどの部品は自分でコントロ−ル出来ないものばかり、

それなら、くよくよせず、なるべくいい人だと言われ、食うに困らない程度で、そこそこの生活で満足な、今のままで行けたらいいな。と言う結論に、検診のため、病院に来て思った。

shige


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