リタイアからの出発

壱岐対馬一宮、幣立、天岩戸、高千穂神社参拝の旅(1)  2015年4月7日〜11日

トップページへ  ヨロヨロ旅行記トップへ


  
4月8日(水)


 昨日北九州の友達を訪ね、深夜のフェリーで対馬の一ノ宮に参拝すべく小さなフェリーに乗る!

 可哀想だがギャルは港に隣接する民間のコインパーキングにお泊り留守番です(ごめん)

 今回は小回りのきくレンタカーをかりたので昼過ぎまでの四時間程で島の半分程を走り回る。

 是非ともここは行って下さいと「レンタカー会社」の人に言われた所は、ほぼ行けたから、もう一生来れない島だろうが、満足の「ヨロヨロ旅」のはじまりです

  
     日本より韓国の方が近い位置にある壱岐対馬
  
     厳原港(いずはら)
  
 対馬は朝鮮半島に対して「外交と防衛」の最前線として重要な島であり、
今も陸海空の自衛隊基地があるようだが、走っていて緊張は感じられなかった!美しい自然と歴史がそのまま残っている素晴らしい島の一つだと思う!
  
 藻小屋周辺の海岸では祭りで積んだ石が残っていた。
  
 藻小屋
海沿いの村の風物詩で、海岸に漂着した海藻を乾かして肥料にする為に
蓄える小屋。
  
 藻小屋
  
 藻小屋
 
 芸術家のオブジェがあった
 
 藻小屋
 
 藻小屋
 
 藻小屋
 
 藻小屋の前の海
対馬国一宮 海神神社(わだつみじんじゃ) 長崎県対馬市
 
 一の鳥居
 
 手水舎
    
     阿形狛犬
    
     吽形狛犬
 
 二の鳥居
 
 280段ほどの中の階段
    
     ご神木
    
     三の鳥居前の最後の結構きつい階段
  
     三の鳥居
    
     拝殿前、最後の階段
  
     拝殿前広場
  
     拝殿内部
  
     拝殿
  
     拝殿と本殿
  
     本殿
  
     本殿と末社(何度も祭神の変遷はあったが、明治3年は「和多都美
     神社」となり、翌4年に「海神神社」と改称し国幣中社に列した。
  
     ちなみに海神神社(ワダツミと読む)(対馬)ー「伊弉諾神宮(淡路
      島)」ー「大神神社」(奈良県)ー「伊勢神宮」(三重県)は一直
      線に並んでいる。
    
和多都美神社(わたつみじんじゃ)




 五基の鳥居が一直線に並び干潮になると二と鳥居まで歩いていけ、
満潮になると御社殿の脇迄海水が来ると言う幻想的ともいえる神社です。

 海に立つ鳥居がシンボルで観光客が一ノ宮より多かった!(一ノ宮は誰も
居なかったし来なかった)

 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
を祭る海宮で、古くから竜宮伝説が残されています。

 本殿正面の5つの鳥居のうち2つは、海中にそびえ、潮の干満により、
その様相を変え、遠く神話の時代を偲ばせる神秘的な雰囲気を漂わせています。

  
     海の中にある一の鳥居と二の鳥居
  
  
    珍しい三本足の鳥居「三柱鳥居(みはしらとりい)」

 諸説あるようだが、イスラエル、ユダヤ教のデザインが背景にある
「購いと救いの象徴」というモチーフが含まれていると言う研究者がいるように
五基の鳥居と言い、三柱鳥居と言い日本を新天地としてイスラエルの民が

 エジプトの迫害を逃れ、朝鮮半島まで辿り着いて済州島の岬から
一直線場にある対馬の良港のこの地に航海の安全を願ってワダツミ神社を
造ったのではと言う説が素人目にも分かる気がします。
    
    磯良恵比須(いそらえべす)」とよばれている「神体石」
    この石のたたずむ位置が波際で、満潮時には水面下に没する
    ところがより神話的幻想を誘う。
  
     手水舎
  
    中心を少し外れた三柱鳥居と海中に立つ鳥居
      (三柱鳥居は全国的にも珍しい)
    
    四の鳥居
  
    古式大祭の際に行われる伝統行事「舟(ふな)ぐろう」で使われる舟
  
     丸みを帯びた可愛い狛犬一対
  
  
     拝殿から鳥居を見たところ
  
     境内の塀
  
     拝殿
  
     境内から一直線に伸びる鳥居
  
     境内
  
     本殿
    
     拝殿横
  
     境内から海をみる
    
  
     海側から本殿をみる
  
  
    
     三柱鳥居と磯良恵比須
  
  
     和多都美神社(わたつみじんじゃ)大鳥居
    
     
  
     竜宮伝説が伝わる浅茅湾の像
  
     浅茅湾にある一の鳥居
  
     浅茅湾の一部
  
     入り組んだ浅茅湾(あそうわん)の一部
  
     浅茅湾の漁港
  
     浅茅湾の漁港
  
     浅茅湾の漁港
  
     石の文化が発達していて、とにかく石垣が美しい!
  
     家々を囲む石垣が惚れ惚れするほど美しい!
    
浅茅湾(あそうわん)を一望出来る烏帽子岳に登ってみた!



  
     烏帽子岳より浅茅湾(あそうわん)を一望!
  
     浅茅湾一望
  
     浅茅湾360度一望
  
     駐車場より少しきつい階段を登った先に
     素晴らしい景色が広がっっていた。
    
     この階段を登った先に展望台がある!
  
     烏帽子岳より浅茅湾を一望!
  
     烏帽子岳より浅茅湾(あそうわん)を一望!
  
     浅茅湾一望
  
     浅茅湾一望
  
     結構山深い部分もあった!
  
     烏帽子岳より浅茅湾(あそうわん)を一望!
  
     浅茅湾一望
  
     浅茅湾
  
     浅茅湾
    
     烏帽子岳より浅茅湾(あそうわん)を一望!
  
     浅茅湾
  
     浅茅湾
  
     浅茅湾
  
     烏帽子岳より内陸部をみる!
  
     浅茅湾一望
  
     浅茅湾
  
     浅茅湾
  
     万関橋展望台より!
    
     「万関橋」
  
     万関橋展望台より万関橋遠望
  
     万関橋展望台




 かつて軍によって掘削された人工の瀬戸で、万関を接点に西には浅茅湾、
東には津島東水道へと続く三浦湾を見渡すことができます。

 瀬戸をまたいで両岸を結ぶ美潮の干満によって生じる
瀬戸の渦潮の流れの見事さに多くの人々がここを訪れます。

  
     市街を挟んで北東隣の桟原城(さじきばらじょう)と
     あわせて厳原城(いずはらじょう)ともいう
  
     金石城趾(かねいしじょう)
  
     金石城跡の復元された石垣
  
     見とれてしまう石垣


日本三大墓所「万松院(百雁木)」

 16世紀末、対馬と朝鮮王朝は平和通商の時代でしたが、宗家第19代
(初代対馬藩主)の宗義智は、天下人・豊臣秀吉から朝鮮出兵の先陣と
なるよう命じられます。

 さらに秀吉の死後、新たに天下人となった家康からは朝鮮との国交回復を
命じられます。  朝鮮王朝との平和通商・戦争そして国交回復という苦難に
満ちた生涯を送り、

 やがて西国一の長者と言われるほどまでに繁栄した対馬の礎を築いた義智の
法号にちなんで、万松院と呼ばれるようになりました。

  
     万松院入り口の石橋
  
     対馬藩主宗家墓所・万松院(ばんしょういん)
  
      墓地の参道に架かる石橋
  
     百雁木と言われている石段入り口
  
     132段の百雁木(ひゃくがんぎ)と言われる石段
  
     百雁木と言われている石段
  
     石段の上から見た
  
     百雁木と言われている石段のてっぺん
    
     
    
     樹齢1200年と言われる万松院の大スギが3本あり、杉では対馬一の樹齢を誇っています
    
     万松院の大スギ
  
     万松院の大スギ
    
     万松院墓地
  
     万松院墓地
  
     
  
     
  
     万松院墓地
    
     諫鼓(かんこ)
   
     領主に対し諫言しようとする人民に打ち鳴らさせた鼓・・・
    
     壱岐に行く高速船
 島の人の話では、壱岐は韓国人でもってる島だそうで?コンビニは1軒も
無かったのに、不似合いな程大きなドラッグストアーが何軒かあり
 バク買いする韓国人の姿が目に浮かび、国益の為にも日本人の観光客が増
えることを祈りたいと思ったりして、セッカチにも午後には隠岐の島に渡り、
夜にはギャルが待っている博多の駐車場に帰る予定です。
(韓国との国際港ともなっていて高速船岩壁画があった。)
  
     高速船船内
壱岐国 一宮 天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)長崎県壱岐市


 小さな島だが神社はたくさんあり、港のすぐ近くだと聞いていたが、
借りたレンタカーで走ってみると行き過ぎて迷ってしまった。
道を聞こうにも、第一村人が歩いていない?

 神社には事前に電話で「これから行きますから!」と連絡していたので
宮司さんは待っていてくれ直に御朱印は頂けたが、親切な「レンタカー屋」さん
が自前の携帯で連絡を取ってくれたのでスムーズに御朱印を頂けた。

 離島の神社の経営は大変らしく過去の経験がここでも大いに役に立ち賢くなった。
対馬の一ノ宮「海神神社」でも普段は留守らしく、御朱印をもらえたのはラッキー
だったようだ。

  
    天手長男神社(あまのたながおじんじゃ)拝殿
  
  
    古いが小さな神社でして掃除をするのも大変らしい!
  
    
     結構急な参道階段
  
     本堂前石の鳥居
    
     一の鳥居
  
     期待を裏切らなかった「猿岩」
    
   
    
  
  
    
     風土記の丘
  
     百合畑古墳群
  
     百合畑古墳群
  
     百合畑古墳群
  
    
     掛木古墳
    
     掛木古墳自由に中にはいれる
  
     掛木古墳 石棺があった
  
     石棺
  
     中から外を見る
  
  
     鬼の窟古墳
    
  
     ちょっと怖い感じがした。
  
     「鬼ノ岩屋古墳」として国の史跡に指定
  
     中には入れないがライトアップされていて五輪塔がかすかに見える
  
     鬼の窟古墳内部
    
     六面十二菩薩と顎かけ石
月讀神社


案内板によると

 月読尊の御事については、 古事記の上巻に、伊邪那岐命 伊邪那美命の二柱の御親神が 天照大御神を
お生みになられ、次に月読尊をお生みになられたと表されてあります。 また、日本書記には、
「すでに大八州国(日本)及び 山川草木を生むことができた何ぞ天下の主君を生まざらむ」 といわれて、
是に天照大御神をお生みになれ 次に月読尊をお生みになられたと記されてあり。

 また一書には日に並ぶともあります。 即ち天照大御神及び月弓尊は並に是、質性明麗し。故、天地に照し
臨ましむ。天照大御神のご神徳は 「その光華明彩六合に照り徹るほどでございます」と太陽にたとえて
表されておりますので、月読尊の御威徳はそれに次ぐものとして、 月になぞられておたたえしたものと
拝されます。

 太陽、月、大地、自然とともに神は存在されておられると言う事 (アニミズム)を壱岐の祖先は熟知され、
月が万物に利益を与える如く 邪心が無く玄徳を極められていたようです。壱岐の県主の先祖「忍見宿祢」が
西暦四八七年月読神社を分霊して 壱岐から京都に祭り行かれた。 忍見宿祢により、神道が中央に根ずく
事になったとされております。

 つまり、壱岐島が神道の発祥の地といわれております。 京都、洛西、松尾大社の横に月読神社はあり。
伊勢神宮の内宮に月読宮、また下宮に月夜見神社があります。 壱岐島の月読神社が全国の月読社の元宮
とされております。

    
     鳥居の向こうは別世界って感じ
    
 こじんまりとした神社だがちゃんと神主さんがいて御朱印ももらえた


はらぼげ地蔵

一日限りのフルパワーで巡る離島の旅でしたが、壱岐と言い対馬と言い良い人に
巡り会い、予定以上の満足ある旅でした。

その中でも一番の思い出の出会いは写真右下の女性です。
 フェリーの時間も迫ったのに写真の「はらほげ地蔵」にどうしても行ってみたく
て途中で道を尋ねた人が写真の女性でした、 大阪人大好きと言うその女性は、
途中迄行くから付いといでと言ってくれ、狭い道を何度も回りながら
「はらほげ地蔵」の前迄連れて行ってくれました、そして「この前来たけどお賽銭を持って無くて手を合わせるだけで帰った」ので、

今日は良いチャンスをくれたと言いながら、一緒にお参り迄してくれたのでした。

 フェリーの時間がギリギリに迫っていたので、ここから一番近い確実な道を教えてもらおうとしたら、近くの病院に母親が入院してるので確実なところ迄一緒に行き
ましょうと、これまた飛ばし気味のスピードで国道の分かり易い所迄伴走してくれたのでした。

 これは本当に有り難かった事ですが、何しろ時間ギリギリのドライブでして、お礼もそこそこに名前さえ聞く余裕もありませんでした、だからあえて写真を無断で載せましたが、この写真に気が付きましたらシゲ爺までご一報下さい。

 もしあれが一期一会になったのなら、本当に有り難うございました。お陰様で乗船が始まる寸前に切符売り場に到着出来、最終のフェリーに乗る事が出来て
ギャルにもひもじい想いをさせる事もなく素晴らしい思い出の旅になりました。

  
     日本むかしばなしにも登場した海の「はらぼげ地蔵」
  
     はらぼげ地蔵と地元の菩薩様

壱岐対馬一宮、幣立、天岩戸、高千穂神社参拝の旅(2)  トップページへ  ヨロヨロ旅行記トップへ