6ヶ月目の検査入院をする

8月26日(火)13時 入院手続き

レントゲン、エコー、心電図、血液検査、尿検査、一通りの検査をして、偶然にも前回と同じ6階の666号室におさまる。主治医の岩田先生の説明を受ける。何もないことを祈る気持ちを述べると、先生も「そうであるといいね」と、今日のところは明るく終わる。でも腎臓が悪いので、さっそく24時間の点滴が始まる。

なつかしい「看護士」の美人達に何人も再会できてちょっと嬉しい。夕食は、前回と違い普通食だった。待ちかねていたせいもあり、ほんまに旨かった。

夜中、各病室から苦しそうな咳が聞こえたくる。「ここは病院だな!」と実感する。この部屋は咳をする人がいないので助かる。でも、痛い痛いと言う老人が1人いる。

8月27日(水)晴 カテーテル検査日

病院独特のザワザワした夜をウトウトと過ごす。すっきりしない目覚め、そして便秘の予感! 長い1日になりそうだ。

今回の検査入院は、前回と大きく違う。まず、知り合いの看護士さん達がほとんどで、どうすれば快適に過ごせるか、自分で何となく分かること。同室の人たちが、わりかし自分の歳と近い人が4人いること。 その人達はみんな気楽に携帯電話を使っているので、なんとなく雰囲気が明るい。でも、2人の年寄りは寝たきりである。今月に父を亡くしているだけに、感慨深いものがある。

”死なせてもらえない医療”と言うものを、付き添いの奥さんからの話でも感じられて、どう生きるかについて自分と家族で話し合い、寿命を真正面から受け止め、美しい年寄りになりたいと感じた。

14時20分、カテーテル室から悲しい知らせ。カテーテルの機械が故障して手術が止まっているそうな。よって私の順番が遅くなるか、中止になるかもしれないとのこと。昼飯抜きで待っているのに、俺の昼飯食わせてくれ〜。でも、手術中の故障じゃなくて良かったか。

ようやく1時間遅れでカテーテル検査が始まる。30分程で検査が終わる。早かったので、良い結果がでたのかと思ったら、あまり良くはないようだ。詳しくは、明日嫁の前で話すと言うことで、取りあえず晩飯にやっとありついた。

今日は腕を固定して朝まで辛抱。水分をいっぱい取って造影剤を早く出さないと、また腎臓に負担がかかるので、500ミリのお茶を4本用意して嫁に帰ってもらう。

今日は阪神は勝つだろうか?

”やった!”勝ってマジック16になった! おめでとう!

8月28日(木)検査の結果を聞く

夕べは、お茶をどんどん飲み、点滴も4本もしたので、おかげでおしっこ10回以上行ったと思う。朝7時、左腕の添え木をはずしてもらったが、しばらくは曲げると痛かった。

眠れないので、延命について考えていたが、結論を出すのが怖いので出せないでいる。今している「治療」も俺の延命に他ならない。ええかっこうしても、やはり死にたくないと言うのが本音であり、これは60才だろうが、70才だろうが同じなのではないかと思ってしまう。

そして、若い頃、60才のおじいさんに自分がなることなど想像も出来なかったのに、もうすぐ目の前にある。70才も80才も今と同じ思いなのだろうと想像する。だったら「70才なら、まだ若いので延命をして、80才なら、もういいから延命しない」と言うのは当てはまらないのではないかと思う。そうすると、あらためて親父の最後の選択と態度(延命はいらないという)は立派だと思わずにはいられない。俺にはたして出来るか。やはり「病院に連れて行ってくれ」と言ってしまいそうで情けない。

8時30分、朝食の後、最後のじゃまもの点滴がはずされる。「あ〜あ自由の身!ほんま快適!」

検査

18時30分、主治医より説明を受ける。以前25%の詰まりだった太い血管が前回入れたステント(網状のパイプ)の前後で50%まで狭くなっているので、今後これ以上悪くならないよう経過を見て行かなくてはならない。とのことだった。食事療法は今までどおりとして、運動をすること、たばこを吸っている人の近くに行かないこと、など注意を受ける。一番難しいけれど気を付けることは「ストレス」今の私にはこれが一番大きな問題である。

今回も腎臓が造影剤の影響で悪くなったので、普通なら明日退院だがもう一回血液検査をして、あさっての土曜日の退院と言われた。

8月29日(金)阪神マジック15

夕べも寝不足のまま、6時30分、起きて朝の運動(階段100段の上下)をする。

日朝会談はうまくいかなかったようだが、(予想どうり)人間同士でどうしてこんなに話がこんがらがるのか?白はどう見ても白なのに、黒だと言えるのはどんな人なのかと思うが、黒に見えるのだからしょうないか。そんな人たちが集まっての人類なのだから・・・・。こんな事をまじめに考えると又ストレスが溜まる。自分も、もっとええかげんな人間にならないと、心臓の血管がショックを受けそうなので、ケセラセラと生きる方法を少しずつ身につけて行きたいと思う。

さわやかな朝、又、頭の中だけかもしれないが、こんなことを考えたしまった。”取りあえず ケセラセラだ!”

心臓がドキドキするほどの運動はしないように言われているが、本日合計100段の階段を4回往復する。すこしはドキドキするが、ホールをダラダラ歩くよりは足に力が入り良いと思う。

8月30日(土)退院 阪神マジック13

空いていたベッドに、夕方、自宅で気分が悪くなったという老人が入ってきた。少しボケが入っているらしいその人は、みごとに一晩中やってくれました。入ってきてすぐにベッドの中でおしっこをしてシーツを替えてもらい、食事中に又お漏らししたようで、看護士さん達は大忙し。9時に消灯してウトウトしていたら、看護士さんの押し殺したあわて声で目を覚ました。どうやらベッドの中からずうっと廊下中をおしっこをもらしながら歩き回り、帰るところが分からなくなり、ウロウロしていたらしい。その患者さんを寝かしつけて廊下をぞうきんで拭く若い泊まりの看護士さん達を見ながら、又、どのように年を取ればよいのかと考えさせられました。

ボケるほど年を取るのが良いのか、昔ならとっくに死んでいたはずの老人が医学の進歩のおかげで生き延び、今若い人たちに支えられて生きている。

社会のためには生産もしないし、家族を含め周りの人たちの手を煩わせているが、生きているだけで子供としては「ありがたい」と言える(最近父を亡くしたので、特にそう思う。)部分もある。

何より、老人医療により医学が発達し、それに伴い若い人たちの職場が確保され、生活が成り立つ。私の中では難しすぎて整理は出来ませんが、家族の中で必要とされる年寄りであり、精神的な中心に年寄りがいるような生活が日本でも戻ってきてほしい、又それを受け入れられる、ゆとりある若者が増えてきてほしいと、4日ほど老人と同じ部屋で生活して、心よりそう思いました。そう言いながら、1人田舎に年老いた母親を残しています。後3年と少しで定年ですので、元気で待っていてほしいと思っています。やはり子供としては、親にはいつまでも長生きしてほしいものです。

今回の検査入院は、頭の中の治療も少ししてもらったようです。同室の皆様、言葉では何も教えてもらったわけではありませんが、人生の深い所を態度で見せてもらいました。感謝します。それぞれが、奥さんや子供さん達に尊敬されるような最期を迎えられることを祈っています。

最後に うれしいニュースを紹介します。 ”我が家に、新しい命が誕生しました。”アクア(ソマリ種のグランドチャンピオンです)の子供です。

子猫
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