日本一周自転車旅行 九 州 1




若戸大橋(20円)

・昭和39年8月24日

・宿泊地ー小倉駅
・走行距離ー150キロ
・使用金額ー305円
・天気ー雨

雨の中を6時前に三谷小学校を出発する。

途中雨に濡れて寒いので裸になって走る。初めは気持ちいいなんて思っていたけど、だんだん寒くなり、とうとう我慢ができなくなってしまう。

食堂に入りご飯を食べると、少し暖かくなる。また走り出したけど、寒くて手の自由が利かなくなるし、おまけに腹まで痛くなる。もうやけくそで走る。

下関の関門トンネルの入口についたのは2時前である。そこでしばらく寝ようと、気兼ねしながら寝場所を作っていると、「エレベーターの係りの人が来て、こんなところで寝たらあかん」と言われて、又仕方なく走り出す。

寒いなと思っても、荷物を全部送ってしまったので、着るものがない。まさに着た切り雀である。心細くなる。


関門トンネル入口

若戸大橋通行券

小倉駅まで来て、その町の大きいのにびっくりする。こんな所は寝るところを探すのが大変だ。とりあえず小倉駅に行く。

聞いてみると、乞食を閉め出すので、夜は誰も駅の構内に入れないそうだ。親切な駅の人が、「駅長に頼めばどうか」と言ってくれたので、ピカピカの駅長室に「今夜泊めて欲しい」と頼みに行く。俺が男前なので、特別に泊めてもらえることになり、一人ベンチでのんびりする。

夜中にみんなを追い出しに来た係りの人も、俺だけには何とも言わずにでていってくれた。気後れしたけど、やはり思い切って駅長さんに頼んで良かった。この街は、有名な工業地帯だけに、大変な発展ぶりだ。町はビルが一杯で、駅も変な人が大勢いる。よっぱらい、チンピラ、ルンペンと、まあ気持ち悪くなるほどだ。俺のような紳士?は、本当に少ない。

手持ちのお金が5円しかないので、なんにも買えない。朝が来ても、朝食は郵便局が開く9時過ぎまで食べられない。ま、今夜は安全に寝られることを思えば、昼間の心配は嘘のように嬉しい。誰もいなくなったベンチで、一人えらくなったような気持ちで寝る。

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小倉城

・昭和39年8月25日

・宿泊地ー福岡(西住さん宅)
・走行距離ー56キロ
・使用金額ー218円
・天気ー晴

hらが減って力が入らない。しかし5円しかないので 何も買えない。

しかたなく小椋城に行ってみる。まだ時間が早いので、静かでひんやりしていて、良い気持ちだ。

7時頃から、若戸大橋の近くの郵便局の前で座り込んで、開くのを待つ。通る人が変な顔をしてジロジロ見ていくけど、俺は別に悪いことをするためにここで待っているんじゃないもんね。

郵便局の人が、時間はまだ早いけど内緒でお金をおろしてくれた。三千円を下ろす。やれやれ安心だ。その郵便局で、北野先生に手紙を出す。前々から気になっていたので肩の荷が下りホットする。


津屋崎海岸

西住さん姉妹

北九州の工業地帯を車に乗せてもらって見学する。メッキ工場、モーターの組み立て工場、部品工場などを親切に案内してもらう。良い勉強になった。

今日の泊まるところをどうしょうかと迷う。大阪を出発するとき、会社の人の実家に寄ることを約束してたので、少し回り道になるけど、津屋崎の西住さんの所に行くことにする。

久美子さんの家に着いたのは、三時頃だったか。男が女の人の所に訪ねていったのに、家の人に大変快く迎えられて、とても嬉しかった。あいにく久美子さんは留守だったけど、小さい男の子と一緒に近所の銭湯に行く。男と女の湯糟が一つで、水の上だけしきりをしただけのもので、子供達は潜って、あっちに行ったり、こっちに来たりしていた。田舎らしくおおらかだけど、何だか嫌な気もした。

福岡県宗像郡 西住 久美子さん
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国道10号線(棚田が今では美しい)

・昭和39年8月26日

・宿泊地ー大村湾堤防
・走行距離ー148キロ
・使用金額ー114円
・天気ー曇り

今いるところは、大村湾の堤防である。

ここで寝るのである。しかし近くを電車が通っているので、ゴーゴーとうるさいこと。

今日は調子が良く、快適に走る事が出来た。佐賀は、お茶の名産地であるらしい。日本一美味しいお茶が出来るそうだ。(何処でもここが日本一と言うけどね!!)

お茶の工場を見学する。機械化がずいぶん進み、人間のすることなどは、そのうちになんにもなくなるんじゃないかと思ったりする。

自分の足を頼りに、ペダルを踏んで前に進むなんて、何とばかげたことをしているのだろうと、ふと思う。それにしてもここは、山の上まで美しい茶畑だ。とてもリラックスして堤防で寝る用意をしたけど、露のために濡れて寒いし、何時までも電車はうるさく、とても寂しく、早く家に帰りたくなってくる。


雲仙国立公園

雲仙国立公園の舗装したての美しい道路。

国道34号線 雲仙への道。
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長崎 爆心地

・昭和39年8月27日

・宿泊地ー島原港
・走行距離ー136キロ
・使用金額ー330円
・天気ー快晴

有名な長崎市内を見物する。

坂の多い道だ。いかにも古い感じの石畳の道を、汗だくで行くと、どのガソリンスタンドでも冷たい水を飲ませてくれて、何とも暖かく親切な町の人達だ。何だか前にも来たことがあるような気になってしまう。景色も良いし、町並みも落ちついいていて、とても良いところだ。

長崎への34号線は、まことに美しい道路だ。

路肩にはツツジの花が咲き、シュロの木が植えてあって、走りすぎるのが勿体ないくらいいい道だ。

未練を残して山を降りるのは、又気分のいいもんだ。


長崎

外人墓地より長崎の町

ジグザグの道を手放しで一気に駆け下りると、心の中までスカッーとしてしまう。自転車のメーターも振り切ってしまっている。90キロ以上はでているだろう。手を離して、体でバランスを取っていると、まるで風の中に入ってしまいそうだ。

島原についてお城を見ていると、暗くなってしまった。何とも寂しいお城だ。

すぐに港に引き返したが、三角に行く船はなくなってしまっていた。仕方なく港で寝ることにする。

明朝は6時50分出港だ。海の臭いは気分がいい。


天草城の一角
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