ヨロヨロ旅行記 沖縄の旅 2015年5月7日(木)〜5月10日(日)


2015年5月7日(木)

大失敗を又もややらかしてしまいました!

 ギャルのトイレや食料、水などを多めに用意して、アタフタと遊びの準備していて、最後に表の植木鉢に水をやろうと玄関を開けた瞬間ギャルが飛び出してしまった。

いつもならそんな無防な飛び出しはしないのに、今朝はいつものような落ち着きが無く、かといって一緒に旅に行く様な様子もなさそうなのでギャルはいち早く察知していたのだろうか?いやな雰囲気を感じていたのだろうか?

「これはおいてきぼりにされるな」と危険を察知していたんだと思うが、狙い澄まして扉が開いた一瞬の隙ついて飛び出して行った。飛行機に乗るギリギリの時間で出掛ける準備をしたたので、ギャルが帰って来るのを待ってる時間がない!

仕方無いので、窓を少し開けて出這入り自由に出来るようにして心配しながらも出て来てしましたが、ギャルは後で怒るだろうな〜!今回は沖縄の「新一ノ宮」を参拝する、3拍4日だが実質3泊2日と言うような「弾丸旅」になります!


伊丹空港ならではのプロペラ機を見つけ別に飛行機ファンでもないのにちょっと興奮でした!


国際通りで食事をし辺りを何年かぶりに散策!「市場本通りの入り口付近」


市場本通り、8時になったので閉まってる店もあった。


平和通りこちらも閉店準備をしてる店が多く少し淋しかったが、土産などはこちらの方が少し安い!


国際通りにある吉本花月(前に来た時は無かったような気がする)


国際通り入り口の「スクランブル交差点」


国際通り入り口の名物シーサー


地元で人気のサムズレストランの入り口はお客さんの名刺が一杯張ってあった。


我々も食った証しとして一枚張って来た!


目の前で赤帽の男前の兄ちゃんが手際良く焼いてくれる


ほんの少し待たされたのでぼや〜と待つ!


店の前では奇麗なおねえちゃんが客引きとして立っていた!

2015年5月8日(金)

大失敗2連発!

今頃ギャルは家に帰っているだろうか? 探す時間が無くて捨て猫みたいな状態で飛行機に乗ったしまったが、沖縄でレンタカーを借りて自由に走り回ることになりました。

夕食はツアー料金に含まれている国際通りのレストランで、テレビでしかお目にかかった事のない、目の前で胡椒と塩の入った大層な筒を手品師みたいに振り回して目の前で焼いてくれる肉を堪能して、国際通りや市場通りや平和通りを散策して遅めにホテルに入って、ここで嫁の旅行カバンが一個無いのに気がついた?

どうやらレンタカー会社に忘れたらしいが、夜遊びが過ぎてもう時遅し会社には電話も通じ無い! すべて明日の事にして寝る事にした。と大失敗2連発の3度目の沖縄旅の始まりです。

琉球国 新一宮 波上宮(なみのうえぐう)


琉球国の総鎮守として那覇市に建っている波上宮。 琉球八社として地元の人々からは「ナンミンさん」と呼ばれ、琉球国の新一宮として認定されている。


神社の入り口に建つ鳥居は、黒く塗られた大型の明神鳥居。 平成2年御大典を記念して一の鳥居を改築した。さらに平成の御造営により本殿と拝殿を再建


神社が作られた年代は分かっていないが、その昔、ニライカナイと呼ばれる「海神の国」の神々への祈りを行った場所が、波上宮の崖の端だという。


琉球風の屋根の拝殿や手水舎


狛犬もシーサー風でいかにも沖縄!


拝殿前にはこんな顔ハメがあったので当然顔を出してみる。


御本殿前


沖縄戦で壊滅的な損害を被った当宮であったが、昭和27年 宮司が復興に着手。

翌28年ハワイ移民の寄進により本殿と社務所を再建、本土へも呼びかけ昭和36年には拝殿が再建された。

昭和47年 本土復帰を迎えて沖縄復帰奉告祭が行われ、皇室より幣帛料を賜っている。もともと琉球国が日本になっていく経緯や、戦争の歴史等、他の一宮とは違う複雑な歴史を持つ神社となっている。

朝一番の新一ノ宮参拝は何の支障も無く上手く行ったが、その後小さい島だからとバカにしてカーナビを使わないで走り出したら、沖縄の道は案外複雑でムッチャでたらめに走ってかなりの時間を無駄にしてしまった?

その後はナビを大いに活用しあっちこっちガイドで見つけた良さげな所は順調に回る事が出来てしまった。 どうだ!!でたらめに走っても案外上手く行けるもんだ!

そして今夜のホテルは学生の修学旅行とかち合ったものの学生と顔を合わすこと無くムッチャ広い部屋で、プライベートビーチ付きのオーシャンビューと来た日ニャ〜!あのツアー料金でどうやって旅行者はどうやって採算をとってるんやと考えてしまった。

ざっと計算しても4日間のレンタカー代だけでツアー代金がふっとんでしまいそうだ!

2015年5月9日(土) 耐久レースみたいな1 日!


ホテルの窓から(駐車場の向こうに海が見える)


朝一の仕事は昨日の嫁の忘れ物をレンタカー会社に取りに行く事から始まった。ちゃんと歩道に置いてた筈のカバンが事務所の中に保管してくれていたから、感謝から旅の始まりです!

今日はほとんどナビの要らない田舎のコースを200キロ以上走る。 昨夜のホテル(みゆきハマバルリゾート)は完璧なオーシャンビューだったが、今日のホテルも遠目にはオーシャンビューでして、部屋のナンバーが555号室とバクチはしないシゲ爺だが何となく縁起が良い(笑)

沖縄の人達の運転にもやっと慣れた。何しろ一般道は50キロ以上出す車は必ずと言っていいくらいレンタカーで、地元の車は実にノンビリしていて、「登り坂車線」があっても誰も抜かないで遅いトラックの後ろに皆さん一列になって付いて行く? なぁ〜!ビックリだろ!

今日は何のストレスも感じないドライブだったし、何処も満足の観光になった!

沖縄美ら海水族館


本島北部の本部町(もとぶちょう)にある沖縄美ら海水族館は誰もが行く人気の観光施設です。見どころはメインの大きな水槽を優雅に泳ぐジンベエザメです。また、イルカやマグロの力強い泳ぎも見ごたえありです。その他のエリアではサンゴや深海魚、カニなども見て楽しめます。


ヒトデやウミウシに触れる「イノーの生き物たち」コーナー(さわれな子どもたちが多い中嫁ちゃんとは触ってましたよ)

イノーの生き物たち」コーナー(さわれな子どもたちが多い中嫁ちゃんとは触ってましたよ)

(イノーとは沖縄の方言でサンゴ礁に囲まれた浅い海という意味らしいです)。


食ったら美味そうな魚が多数います?


ちょっと不機嫌なマンタ?


変顔のエイ?


笑い顔のジンベエザメ


笑い顔のエイ!


手を振る飼育員!


ただいま交尾中のウミガメ!

古宇利島(こうりじま)「沖縄版アダムとイヴ」と呼ばれる伝承があることで有名。


古宇利大橋



ティーヌ浜(ハートロック)
ハート型の岩があることからハートロックビーチと言われることもあります。とても美しい自然のビーチですが、ビーチに下りるまでの道が少し険しいので注意が必要です。


古宇利島は、沖縄本島北部にあるエメラルドグリーンの海に囲まれた小さな島です。

2005年に隣の屋我地島との間に古宇利大橋が開通し、車で行ける離島となりました。橋を渡る際には、うちなーんちゅ(沖縄人)も絶賛するほど透明度が高い海の間を車で走り抜けることができ、その景色の素晴らしさからたくさんの観光客が訪れる島となっている。

古宇利島は古くから「恋の島」や「神の島」であるという伝承があります。これは沖縄版「アダムとイブ」のような言い伝えが残っており、「こうりじま」の語源が「恋島(くいじま)」だと言われているためです。そのため、全国からカップルが訪れる島となっているそうす。

辺戸岬(へどみさき)


沖縄最北端の岬。那覇空港からは高速道と一般道を利用して、車で約2時間30分のロングドライブとなる。

太平洋と東シナ海がぶつかる沖合からの荒波が、隆起したサンゴ礁の断崖絶壁に打ち付ける様はとてもダイナミックで、沖縄海岸国定公園に指定されている周辺の景観と合わせて、沖縄の自然のパワーを感じさせてくれる。

 天気のよい日には、約22キロ離れた鹿児島県の与論島や沖永良部島を水平線上に望むこともでき、元旦には初日の出スポットとして地元の人たちでにぎわう場所でもある。


ヤンバルクイナ展望台を遠望


岬の中心に建てられている「日本祖国復帰闘争碑」は、昭和47年(1972)、アメリカの統治下にあった沖縄が日本に返還され、沖縄県になった時に建立されたもの。

幾度となく祖国復帰の闘争が繰り返されていたことを忘れまいと、沖縄本島最北端であるこの地に碑が建てられている。当時は日本への復帰を願う県民たちによって、国境の向こう側にあった鹿児島県の与論島に向けてのろしをあげていた。

年に一度、北緯27度線、つまり沖縄本島と与論島の間の海上でも交流集会を開いていたそうだ。その友好の証として、「ヨロン島・国頭村友好記念碑」も建てられている。そう、ここは、沖縄の波乱の歴史に想いを馳せる場所でもある。


沖縄らしい青い海を見たいのなら、できるだけ風の弱い日を選んで、太陽が高い位置にある日中に訪れるのがおすすめらしい。


菩薩の横顔にも見えるといわれる、聖地・安須森(あすむい)大林石の一部

沖縄には、ありのままの自然の姿を「聖地」として大切にする文化があり、辺戸岬もそのひとつ。岬を訪れたら、突端に小さな拝所(うがんじゅ)を見つけることができる。もし、そこで拝み(手を合わせて祈ること)をしている地元の人がいたら、邪魔をしないように静かに見守ってほしい。

辺戸岬だけでなく、やんばると呼ばれる北部エリアの森そのものが聖地であり、なかでも、岬の後ろ側にそびえる山々には、安須森(あすむい)と呼ばれる琉球開びゃくの聖地がある。

現在では、大石林山という自然のテーマパークになっているので、島を造った琉球の神々のパワーをあやかりに、自然あふれる観光スポットを巡るのもおすすめだ。


道の駅「ゆいゆい国頭」で展示してあった大石林のパワーストーン!

海中道路(全長4.7キロの快適なドライブコース)


海中道路ロードパーク


海中道路より平安座島を見る!


海中道路より平安座島を見る!


海中道路より浜比嘉島を見る!


海中道路より浜比嘉大橋と浜比嘉島を見る!


みゆきハマバルリゾートホテルよりプライベートビーチをみる

世界遺産「座喜味城跡」(ざきみじょうあと)


座喜味城跡の駐車場から入り口正面に向かうと、右手に読谷村歴史民俗資料館、左手に高倉や石臼がある。さらに進むと、座喜味城跡の城門まで琉球松の林が続き、門にたどり着くまでの間に琉球王朝時代にタイムスリップしていくような感覚を味わえる。


座喜味城跡は世界遺産だが、他のグスクと違って入場は無料。開場や閉場の時間が定められていないので、明け方や夕暮れ時に訪れたり、写真を撮影したりするには絶好のポイントとなっている。

 城壁に登ることが許可されている(一部、侵入禁止区域あり)唯一の城でもあり、規制が少なく自由に楽しめるところも良い。名築城家として名高い護佐丸が、15世紀初頭につくった最高傑作のグスクを、じっくりと楽しめる。(わわさんのブログを引用)


座喜味城の特徴は、城壁が直線ではなく曲がりくねっていることや、敵を袋小路に追い込むための「武者隠し」など、徹底的に戦に備えた強固な軍事要塞となっていることだ。

 ところが、護佐丸が18年余りを過ごした座喜味城は、戦をすることが一切なかった。その後、護佐丸は王の命令で次の赴任先である中城城(なかぐすくじょう)へと移り住むことになるのだが、座喜味城にいた頃は武将・護佐丸の生涯において、唯一平和な時期だったともいえる。

 そして、戦がなかったからこそ、一部を沖縄戦で破壊されたものの、座喜味城跡は大変保存が良い状態で、今日に残っている。


座喜味城にゆかりのある歴史的人物といえば、座喜味城を築城した護佐丸(ごさまる)だ。座喜味城は、名将であり名築城家とも呼ばれた護佐丸が、ゼロから築き上げた最高傑作のグスクといわれている。

護佐丸は、山田城(現在の恩納村山田)の山田按司(あじ。山田を統治していた豪族のこと)の子で、若い頃、中山(ちゅうざん)王の命令で北山(ほくざん)討伐に参加して戦果を挙げ、後に今帰仁城の看守を任されていた。そのときに見た今帰仁城の軍事的要塞としての機能や構造を参考にして、座喜味城を築城したといわれている。

城壁の曲線美を眺めるときには、そうした歴史的な背景を重ねてみると面白いはずだ。


武者隠し

沖縄本島最西端の風を感じる「残波岬」


琉球王朝時代の商売の神様、泰期(たいき)の像

琉球王朝時代の豆知識
1373年、琉球王朝時代に察度王(さっとおう)の御名代として、中国への初の進貢使となった読谷村出身の人物がいる。その名は泰期(たいき)。

中国の歴史に初めて名を留めた琉球王朝時代のキーパーソンだ。読谷村の豪族だった泰期は、中国の文物を琉球に正式ルートで導入した先駆者だった。

中国への渡航はなんと5回。船に乗ることは命がけだった時代の話だから、泰期の勇気や使命感は並大抵のものではない。そのビジネス能力とグローバルな感覚を讃え、「商売の神様」として、故郷の地にこのモニュメントが建てられている。


岩場のあちこちに小さな草花が一生懸命咲いている。


沖縄本島の最西端だから、夕陽の絶景スポットとして写真愛好家の間では有名。地元の釣り人にも大人気の場所で、潮回りの良い日には釣り客でもにぎわっている。自然のままの海岸線がいいのだけれど、波や風が強い時の波打ち際は危険だ!

ビオスの丘 亜熱帯の植物園で森林浴を満喫!


沖縄本島の中部・うるま市にある観光施設「ビオスの丘」。約7万5千坪の広大な敷地面積を誇り、四季折々の沖縄の生態系が見られるビオトープの植物園だ。散策路での森林浴に加え、水牛車や船に乗って時間を過ごすこともできる。


水牛が二頭ノンビリ水遊びをしていた。


約25分間の水上旅行を楽しめる。水辺でしか見ることのできない植物や生き物に出会える船旅もいいものだ。船頭さんのユーモアたっぷりのガイドで、船上の観光客の表情にはいつも笑顔がこぼれている。水上コース中には、沖縄を舞台にしたドラマ「テンペスト」のロケに使われた場所もあるのでお見逃しなく。


湖水鑑賞舟コースの途中では琉球舞踊を鑑賞できる


水鉄砲で遊ぶ!


竹馬で遊ぶ!


小動物とも遊べる(アグーブタが昼寝中!)

植物で出来たオブジェ!


ランやシダ類亜熱帯の植物がそこかしこにあり目の保養になること間違いない!

「万座毛」沖縄を代表する絶景の人気観光地


どこまでも青い海と空、広場の緑が美しい万座毛は、沖縄を代表する絶景の観光スポット。海に沈む夕日が美しい!


万座毛(まんざもう)は、沖縄きってのリゾートエリア、本島西海岸の恩納村にある景勝地。

隆起した珊瑚岩から成る高さ約20メートルの絶壁に、象の鼻のような形をした岩があるのが象徴的だ。沖縄海岸国定公園に属している天然の海岸線は、美しい夕陽を望めるスポットとしても人気がある。

崖の上は天然の芝や海岸性の植物に覆われた緑の広場になっており、「万人が座れる毛(もう。野原のこと)」という名前の由来を感じさせる。近くにリゾートビーチやホテルも多い!


琉球王朝の時の王である尚敬王が、「万毛(毛は原っぱのこと)」(言い換えると「一万人が座れる広い原っぱ」)と評したことに由来していると言われている


とにかく最北端を目指してバカみたいに走ってるが、美ら海水族館は想像以上に良くて時間超過をしてしまった。 広い広い水族館の立体駐車場はレンタカーが99%で、よくも集まったなと思うほど観光客が来ている。

2015年5月10日(日)最終日!

玉城城跡(たまぐすくじょうあと)


別名アマツヅ城とも称され、築城年代や歴代の城主についてはさだかでない。「島尻郡誌」では、「アマミキヨが築いた城であるとの伝説があって、城主は、一の郭、二の郭、三の郭の三つの郭からなる階段状の山城で天然の要害の地に築かれている。

城壁は一の郭のみよく原型をとどめていて、二の郭と三の郭の城壁は、戦後、米軍基地建設の骨材料として持ち去られ、現在根石がかろうじて残っているにすぎない。


城跡に上る階段(城跡は荒れ放題で余程のマニアでないと面白く無い所だった) 12時45分までにレンタカーを返却しなければならないので、一番行きたかった近場のパワースポットを「有料ガイド付き」で見学する。(ガイドは最高に上手とも言えずガイドしてもらうあまり意味が無かったかも?)

斎場御嶽(せーふぁうたき)


琉球王朝時代には国家的な祭事が行われてきた沖縄を代表する聖地。その信仰はその後も絶えることなく続いており、現在でも「聖なる空間」として手厚く守られている。世界遺産に登録されている祈りの場で、ここでしかできない祈りを捧げたい。


珍しい色と形のハイビスカス!


御嶽は人の家と同じだと考えてください。人の家にお邪魔する時には、まず、ドアをノックして自己紹介しますよね。場内に入る前には、姓名、出身地、現住所をできれば声に出して伝えましょう。それから、訪れた目的も。声に出すのは自分のためでもあります。声に出すことで、今の自分を再確認するのです。

不思議かもしれませんが、沖縄では先祖に手を合わせる時も自己紹介から始めます。名はあなた自身ですけれど、姓はあなたの祖先です。あなたと一緒に、ご先祖様も聖地に連れていくのです。生まれた土地や住んでいる土地を伝えるのは、あなたに関わりのある場所の神様と、沖縄の神様をつなげるため。

 旅とは、不足を補い合うものだといわれています。自分の中にないものを旅先で得る。旅先にないものを訪れた人が手渡す。旅はいろいろな物事をつなげるものでもあるのです。

 場内に入ってすぐにあるのが御門口(うじょうぐち)。かつては、神行事にかかわる人しかこの先には入れませんでした。多くの人は、場内にある6カ所のイビ(神域)の代わりに置かれている御門口の六つの香炉に向かって祈っていました。(古堅ナビィさん語)

なまじガイドを付けたのが残念だった。 ここは静かに心行く迄自分たちで散策したい場所だった。(最終日でレンタカーを返す時間とフライトの時間が迫っていたのでそんな我がままは言ってられないがね!)


6つの香炉は場内の6カ所のイビ(神域)の分身


寄満(ゆいんち)ここは文字通り、寄せて来て、満たされる場所。台所であり、母の愛に包まれる場所です。石床に上がる段数は5段、より多くの思いを神に伝えるために、高い位置にありますが、普通の人は上がれず、お勤めを積んできた人だけがこの場に上がることを許されています。


斎場御嶽は、琉球の創世神話に登場する沖縄の七御嶽のなかでも、最も格の高い聖地とされている。もともとは男子禁制の場で、琉球国王でさえ、聖域内に入る際には女性用の衣装に着替えたと伝えられている。

聞得大君(きこえおおきみ)
聞得大君とは、沖縄で古くから信じられてきた女性の霊力に対する信仰をもとにした「おなり神」の最高位の呼称。琉球王国最高位の権力者である国王と、王国全土を霊的に守護するものとして崇められてきた存在です。

国王の姉妹や王女など、主に王族の女性が国王によって任命され、琉球王国全土の祝女(ノロ)の頂点に立ち、さまざまな儀式を司ってきました。1470年から1875年までの約400年にわたって、15代の聞得大君が琉球王府の神事を支えてきたといわれています。


砲弾跡(沖縄戦の砲弾で開いた穴をあえてここだけ残してるそうだ)


ガジュマルの根っこもパワースポットらしい!


世界遺産に登録されてからは知名度が一気に上がり、パワースポットブームも手伝って、大勢の人が来るようになりました。けれど、大切なことが伝わっていないように思います。

世界遺産だから立派な建物があると期待して来てみたけれど、「何もない」と帰ってしまう方もいれば、あまりの人の多さに、これでは祈りを捧げられないとがっかりされる方もいます。観光地化されたことで厳かさや静けさが失われたという声もあります。ですが、せっかくこの地を知ったのだから、ここで心に残る何かを持ち帰りたいと思っています。

さすがに霊感など微塵も感じないシゲ爺でも、ここは去りがたくガイドの「帰りましょうか」の声がうらめしかった!


シキヨダユル、アマダユル二本の鍾乳石から滴り落ちる聖なる水を受けとめる二つの壺。右と左、男と女、光と影。二対の調和です。

「賽銭を置かないで」と注意書きがありますね。神様にはお金は必要ないですから、置かれたお金も可哀想です。物も人も、必要とされる場所で活かされてこそ輝くものですから。

 聖地というのは、そこにあるすべてが調和している場所なのです。そこには、内面的な意味での美しさがあります。神に包まれる場所であり、感謝を捧げる場所ですから、何もないように見えるけれど、家に主人がいるのと同じように、この場を守っている人がいるのです。草木や虫たち、鳥たちもこの場所に住んでいますよね。ですから、入る時には最低限のルールを踏まえてほしいと思います。


久高島遥拝所


沖縄で一番のパワースポット「斎場御嶽」(せいふぁーうたき)

ニライカナイ橋


ニライカナイ橋と言う美しい橋に2度も行っみたが、朝は雲っていて海がはっきりせず、2度目はモヤが少しあり思った程美しく撮れなかった。欲を出して二度も行ったのにやや不満足?

浜川御嶽(はまがわうたき)


ヤハラヅカサ
ヤハラヅカサ:琉球開闢の神アマミキヨがニライカナイから上陸した際の第一歩を印した場所と伝えられている。浜川御嶽とともに国王や聞得大君が四月の稲穂祭に参拝したところです。

浜川御嶽:ヤハラヅカサに上陸したアマミキヨが仮住したところ。


ギリギリの時間を捻出してもう一箇所のパワースポット「浜川御嶽」をみで、大急ぎで引き返したが、町に入ると地元の車の「沖縄走行」にイライラしながら常に引っ張られて走る。

ANAで一番デッカいらしい「B7777」と言う飛行機に初めて乗った。500人も乗れるんやて、修学旅行と学生団とかち合ったが、エンジン音は静かやし、停まってるんやないかと思える程揺れないし、シゲ爺はヤッホーの嬉しがりようでした!

今迄で一番の乗り心地の良さで、何故か日本の飛行機は安心感が高い。今回は珍しく荷物検査に引っかからなかったシゲ爺でした。(嫁がそばに居たせいですかね?

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