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棚田を廻って思うこと

何時もの様に駆け足で棚田の旅をしてみて、今更の様に日本の米生産の厳しさを感じました。

棚田を荒らさない為には、百姓の経験のない人達の(ボランティア)力がなくては維持が出来ず、遥かの先人が血と汗で築いた多くの田んぼは放棄され、元の荒れ地に戻りつつあります。

この先このまま食料生産を安いだけの外国に頼り続けたら、生き甲斐までも安ければ良いだけの、不健康なものになってしまいそうで、空っぽの頭を傾げてしまいます。

せっかくオーナーまで募集して棚田を守るなら、もう一足踏み込んで、無農薬栽培をして自分達の子孫の健康を考えてみてはどうだろうか。

米余りの今、生産製をあげる事がどれほど大事なのか、楽をするためにだけ農薬のお世話になっているのか!田舎には田んぼもあり、百姓をしない私がこんな事を言う資格がないことは百も承知してますが、山は荒れ、川は汚れ、海もやがて魚すら棲めない所になるまえに、こんな地球にしてしまった人間が知恵と勇気を出して、地球の延命をはかってほしいと思います。

皆さんの思っている以上に日本は汚れ、環境破壊は進んでいます。

スーパーの買い物袋を何とかすれば解決するような簡単なものではなく、あなたの子孫の存亡にかかっていると言ってもオーバーではないところまできてるとおもいますよ。消費者が求めるものを生産者は苦労してつくるのです。たとえ少々の毒が入っていても売れる物をつくるのです。


四谷の棚田で会ったおっちゃんの話

15年程前から「田吾作」と言うグループを作り無農薬の米作りをしてる、おっちゃんと話したが、おっちゃん言わく「食べ物で民族を滅ぼすことは可能で、有害な農薬を、ほんの少し入れてやれば、生殖能力が親から子供に又孫にと半分づつ下がって行き、二百年もすれば、民族は滅びるだろうと怖い話しだった。

外国から入る食品は仕方ないにしても(買わなければすむ)日本で日本人に食べさす食品がそうなっていても、誰も何も言わないのはおかしい、とおっちゃんは日本の農業に大いなる警鐘を鳴らしていた。

子供達が切れるのはその兆候の現れではないか、若者がどこか精神が病んでるのは、家庭のしつけも学校教育も社会の成り立ちもあるだろうが、それだけでは説明出来ない何か、それが毎日少しずつ採る、添加物はじめ農薬のせいではないか、50年前と比べてたら食べる物の変化は凄まじいものがあり、その毒物の効果がそろそろ表れてきたとすると、その説明がつくのではないか.........


高い山の上にも家があり、そんな家の人の方が何だか、ゆとりある感じで少ない田畑を綺麗に作っていて、まとまった集落では税金で耕地整理した田んぼのほとんどを放置して、原野に戻りつつあります。

住む人だけではどうにも成らない、農村の現実に悲しくなります。

都会で余った若者を何とか農村で楽しく生活させる方法はないかと、考えてみたが、そんなものあるはずはない。私自身が田舎は遊びに行くところで、生活の場ではないと考えている、食べる物が無くなり、食料が配給にでもなったら、その時は田舎に勇んで行き百姓をするだろうが、そんな時がこないのを祈るばかりです。自分の勝手なこんな考えが、およその日本人の考え方ではないかと思ってます。

漠然と自然は大事、なんて言ってる人もすることはと言えば、私を含め無駄と無知な生活を続け、このままでは地球がどうななるのか考えもしない。

今よりほんの少し不便を楽しめないか?これが私に与えられた新しい課題です。要らない農薬を減らし過剰なラッピングをなくし、遠くの産地から燃料を使って運ばれる(外国など)食べ物などより、形が悪くても、むき出しの商品でも、少しくらい高くても、地球と自分を守る為ならこれの方がベストではないだろうか?農家の皆さんも消費者も今一度立ち止まり、命の源の「食の安全」を考え、自分で選ぶ能力を養いませんか。

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