20年以上も前の自転車旅行が私の人格とまでは言えなくても、生きざまに大きな経験となっていることが、はっきり自覚され、どうしても手記として残し、たくさんのもったいないような先輩や友達、そして家族と子供達にこのことを伝えたいと思う。文才もないので読みづらいと思いますがご勘弁をお願いします。
思えば朝と昼、そして夜とで心の中が大きく変わるような経験は40才をこえた今では、あまりに強烈すぎて絶対に出来ないだろう。飢えることも知らず、辛抱する事の出来ない現代にあってこそ、寂しさに耐える強い精神力、苦しい時こそ、くよくよしない明るい気持と優しさを私の回りの人達だけでもぜひ持ち続けてほしいと思います。
親の心配をよそに、よくぞ我が儘を通し初志貫徹したと今では自己満足している。しかし、子供達が大きくなり、やがて形はちがっても冒険を計画したなら、きっと我を忘れて反対するであろう。
寂しさや、苦しさの知らない人間は、優しさや、幸せまでも見過ごしてしまうのではないかと心配になります。その為にも、やはりその人それぞれが最大の冒険は必要でなかろうかと思う。
私は苦労と言うことを知らずに育った人間だと思う。なるほど村でも貧乏な家に生まれ、育ったが、心の中まで貧しくならなかったのは両親がいつも守って居てくれたからだと今になってよく分かったし、辛いと思われるような出来事も何回かあったが、常に素晴らしい友達が回りに何人もいて、真っすぐな道をいつも教えてくれたからだと感謝している。理想的な家庭にも恵まれ私は幸せです。私の回りの人達、すべてが幸せに包まれることを祈り、今の私は夢のような理想に燃えています。
東京オリンピックを前にいたる所が工事中か、これから工事にかかろうとするひどいジャリ道を思い出しながら、しばし青春に浸りたいと思います。そして日に焼けて真っ黒で風呂にも入らず、得体も分からない、きたない少年にやさしい声をかけ、家に泊めてご飯を食べさせ、弁当まで持たせ、優しい言葉で励まし送りだしてくれ、いまだに変わらない暖かい心配りをしてくれる人々、
25年と言う長い年月、悲しくもこの世を去った人もいます。しかし奥様や子供さんにその友情を引き継いでいただき、変わらぬ愛を注いでくれます。まるで私には太陽がいっぱいあるみたいです。そんな素晴らしい人達も紹介出来ればと思います。
1988年12月
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