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第四十二番 仏木寺(ぶつもくじ) |
2回目遍路旅 2007年4月15日(日) 7日目 |
怒りの雨も納まり、濡れずにお参り出来ました。 |
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珍しい茅葺きの鐘突堂 |
仁王門 |
1回目遍路旅 2006年4月19日(火) 5日目 AM8:27 |
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遍路も半分に近付き、人間の弱さを身にしみて感じる。 その弱さをカバーする為に必然的に宗教が出てきたのだと思う。 その弱い部分を癒してもらえるならと浄財を惜しまず出し、神の力でより幸せになりたいと願う。 今まで巡ったお寺の大部分がそんな浄財での工事中で、真新しい本堂をコンクリートで作ったものまであった。 コンクリートが悪いと言うのではないが、はたして寿命が何年か、木造のように美しく年月を重ねた寺の感動がはたしてコンクリートでは出るのか、古くなったら解体修理が出来るのか、壊して建て替えるのでは余りに時代を反映してるのではないかと、思ってしまう。 これだけ毎日遍路の人が押し寄せたら、新しい本堂も建つと言う事かも知れないが、さる住職の話しでは、年々寺と寺の繋がりが希薄になって、大きな行事が出来ない状態に成りつつあるそうだ。そのかわり寺の見映えを競うような、そんな時代になったそうな。 人間が人間に教え、人間が行うすべての行為は善ばかりではないのは分かるが、お寺の改装に血道をあげるより、お寺の大事な仕事の一つに民衆の心を癒し導くことがあるのではないだろうか。 一部の若者に見られる、「どうでもいいですよ」的な楽しければ何をしても良いと言った、夢を持たない若者が出て来てしまったのではないか。 政治まで一部宗教が大事な曲面で弱い者いじめのような法律をつくり、強い者しか生き残れないような、せちがない世の中にしてしまっては、もう誰を信用して生きる夢と喜びを持てばよいのだ、と思ってしまう。それを持たせてくれるのが宗教であってほしい。 |