大阪暮らし4 2002年6月




2002年6月4日(火) 私達はモルモットですか
2002年6月6日(木) ありがとうございました



 
2002年6月4日(火) 私達はモルモットですか

日本人は上から下までいったい何のために生きているのだろうか、ほんの少しだけ解りかけてきた、と思っていたのに、こう毎日信じられないニュースが氾らんすると、またもや私の頭は混乱し、人間不信におちいりそうです。

政治家は自分達が選んだのだから、何をしてもそれは仕方のない部分もあるかと思うが、役人はいったい誰のために無愛想で冷たい仕事をしているのか、会社は(特に人間の健康を左右する、食品などを扱う会社)商品をいったい誰のために作っているのか?

[健康をそこなう恐れがありますので、注意して食べて下さい」なんてラベルを貼らなくてはならないような食べものを知らないうちに食べさせられては、たまったもんではない。

どうしてこうなってしまったのだろうか、1人1人は皆、ほんまに頑張っているのに、いつの間にか目の前のお金のためにだけ頑張っている。自分の幸せだけを願っているのだったら、あまりに空しく、悲しく、腹立たしくさえ感じてしまいます。

水も空気も食べ物も何一つ安全なものはなくなりつつあり、せめて人間だけは安全で安心出来る存在であってほしいけど、毎日のニュースを賑わすのは、老いも若きも、何のために勉強して、苦労を重ねてきたのか、と思えるような情けないニュースがとぎれることがない。

せめて自分がされたらイヤだ、と思う事ぐらい、他人にはしない。こんな簡単なことから始めませんか、どんなに無理をしても死ぬまでしか生きられないのに、まるで気が付かず、周りの人を蹴飛ばし、前へ前へ!

そんな無駄なことはもうやめませんか、他人を蹴落として前進するほどの値打ちが前方にあるとは思えません。もしあるなら、とっくに誰かがみつけていますよ。上げた足下をゆっくり見つめてみませんか、あんがい求めるものが落ちていたりするものかも分かりませんよ。残念ながら私も、まだ見つけてはいませんが。

shige


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2002年6月6日(木)有り難う御座いました

私は、どうもくそ真面目にものごとを考えてしまい、面白みのない人間だと言うのが、この雑記帳を読み返してみて気が付きました。短い間でしたが読んで下さる方々が「そうだ、そうだ」とうなずいてくれたら嬉しいな!   なんて生意気な気持ちも少しあり、今日まで続けてきましたが、これ以上続けたら社会批判に終始して、ますます世間を狭く、眉間にしわがふえそうなので、この雑記帳は今回でお休みします。

もっと勉強して、悟りの境地に近づくか、ラテン系の人のように人生を心の底から楽しめる人間になれたら、その時は再デビューしますので、お楽しみに

最後に「日木流奈」君(12歳)の「ひとが否定されないルール(講談社)よりの抜粋文でお別れです、

私は条件をつけずに愛されました。このまんまの私を受け入れてもらえました。脳障害であることは大変ではあるけれど、私の存在を否定する材料にはなりえませんでした。

そして、そこから始められた私は、それ以後もだれかと比較されたことはなく、テストされたこともなく、きのうの自分よりあしたの自分が優秀になっていればいいという思想のもと、育てられました。

私は常に成功者でした、私自身において。だれかと比べてでは決してなかったのです。私は私自身でありさえすればよかったのです。

ありがとうございました。

shige


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