大阪暮らし3 2002年5月




2002年5月4日(土) ゴールデンウイークの出来事
2002年5月6日(月) ゴールデンウイークは終わった
2002年5月8日(水) 忙しい夜でした
2002年5月10日(金) 真昼の寝言
2002年5月13日(月) 目の保養をして来ました
2002年5月16日(木) どうしたんだ
2002年5月22日(水) 魚がいない
2002年5月29日(水) 好きなことは時間を忘れ




 
2002年5月29日(水) 好きなことは時間を忘れ

五月のゴールデンウイークに、友達が京都で展覧会を開くことを前に書きましたが、その時のビデオが今週土日にどうにか仕上がりました。

作品は上下関係がないので、案外簡単に決まりましたが、さて、当日会場で開かれたパーティーの人達のカットが難しい。撮影を私の都合で子供に頼んだせいもあり、私の知らない人達ばかりなのです。 主賓は長いスピーチですぐ解りましたが、その他の人達が解らない。ビデオから写真を起こして、岡山に住むその友に問い合わす。メールで返事を聞く、待ちきれないときは、TELをする、が結局ほとんどカットしてしまいました。カメラを気にしていてくれた人もいたのに、ごめんなさい。でもすっかり時間を忘れて、楽しい時を過ごせました。

人間いくつになっても、自分の楽しみのために過ごす時間の楽しいことを、再認識しました。

しかしその後が大変です。このところ、仕事の都合もあり、夜更かしなどあまりしない、健康優良児な生活をしておりましたところ、新聞配達の人達が起きる時刻まで、パソコンの前に3日も座ってしまったもんで、体は椅子のかたちで固まるし、脳細胞がいつもよりもっと寝たままで起きてくれない。

けさなど、ずいぶん遠くまで仕事できていて、帰るときになって、電車賃を持ってないことに気が付いて困っている夢を見る始末。妻に起こされて一件落着。無賃乗車しなくて良かった。

そんなことで、仕事をしながら、ゆっくりと楽しんだあとの疲れをとっていきたいなんて、不埒なことを思っています。友が喜んでくれる顔を思い浮かべながら、自分ではうまくいったと感じるときの幸せ感は、又格別だと、少しニヤついています。

shige


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2002年5月22日(水) 魚がいない

首は痛いし肩はこる。肘も腰も自由に動かせない。年だからと片づけるには、あまりにも歯がゆく、納得できないでいる自分をどうやってなだめればいいのか。 体はそれなりに年を取り痛んでいるのに、気持ちはいつまでも若いまま進歩していないのにまるで気づかないで、弱った体をこぎ使う。「おお〜い!そろそろ自分の体と相談して使ってくれよ」と言ってるのが聞こえてきました。

もうすこしどころか、もっといっぱい生きたいと欲張っている自分がこの頃より強く感じられます。自分の勝手気ままにあきれるやら、すこし同情するやら。

子供達が大人になり、どんな嫁さんをもらうのかな?どんな孫が生まれ、育つのかな?なんてどんどん空想が脹らみ、そうなると良いことばかり夢が大きくなり、十年、二十年先はおろか、百年後はどんなのか、そこまで見てみたいなんて、ほんまもんの夢にまで行き着いてしまいます。争いのない究極の平和が人類にあるとも思われないけれど、ひょっとしたら今の混沌を抜け出したら、その先には・・・・ いや、やはり人間に欲望がある限りそれはないか。

その昔、恐竜が栄え滅びたときのように、人類もごく自然に生き滅びるならそうなって欲しいと願うばかりだ。このまま行けば、人類は自分達でこの地球を何も生きることの出来ない星にしてしまいそうです。

すでにいつも釣りに行く私の岸壁には、魚が一匹もおりません。私の若さを返せなどとは言いませんので、やい!私の海にせめて魚を返せ。貝も返してちょうだい。めったに行かないのだから、行ったときぐらいちょっとだけ満足させてちょうだい。そうしたら、私のストレスも減り、少し元気を取り戻すかも。エ!単に下手なだけですかね。

shige


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2002年5月16日(木) どうしたんだ

このところ1ヶ月ほど体調が悪く、「どうしたんだ」と自分に聞いてみてもどうにも解らない。年だからとあきらめるしかないのか。毎朝のドリンク剤が1日の元気の源になってしまいました。

年を取るのは思ったより私にはショックです。もっと何となく年を取り、それなりに体力と思考のバランスが取れて、ゆっくり出来上がっていくのかと、ノンビリと構えていましたが、よほど考え準備をしないと、明かりを見つける前に、暗闇に飲み込まれてしまいそうです。周りに沢山いる年寄りの人達の達観した生きざまを見るにつけ、いやはやたいしたもんだと尊敬せずにはいられません。

でも毎日のニュースに出てくるような、役人に代表されるような、無責任で事なかれ主義の人達の仲間にはなりたくないですね。もっと大人になれなんて言う人に限って小人だったりする。今の私はその小人の仲間だろうが、体力のある内にもう少し大人に近づきたいものだ。それくらいの欲は持っても良いのではないかと思っている。

shige


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2002年5月13日(月) 目の保養をして来ました

少し前になってしまいましたが、5月2日、以前この雑記帳でお知らせした、 島田悠紀子さんの、墨絵ならびに焼き物展に行って来ました。和紙のランプシェードなどもあり、心安らぐ良い展覧会でした。

久しぶりに車で京都に行きましたが、こんなに車が多かったとビックリでした。四条通りなど、日本一マナーが悪い大阪に比べて遜色はなく、路線バスなどは大阪なんかよりずっと根性が座っていました。京都と言えば、舞妓さんがシャナリシャナリと歩き、チョンマゲに刀を差した素浪人がキョロキョロとあたりを気にしながら歩いている。そんなところかと思っていたのは、どうやら田舎物の私だけだったようです。

駐車場も、大阪にいっぱいあるメーター製のお手頃なのはなく、遠くの地下駐車場まで行くしかなく、「さすが京都」と感心をしたりボヤイテみたり、忙しいことです。しかし、同じ商店街でも京都の店は何となく風格があり、時代の重さという物を感じさせる店がそこここにあり、やはり素浪人が出てきそうな場所に何度も出くわしました。

展覧会場は、3,4,5階と広いスペースがあり、大きな絵が充分生かされる広さがありましたが、各階ごとに仕切られるので、全体を眺めることが出来なかったのが、少し残念な気もしました。 私達は友達と3人でいったのですが、着いたのは夕方の4時を回ってしまい、京都の友達と行き違いになってしまったのが残念でした。オープンの日は、岡本多郎記念館の館長氏も来て下さったそうですが、解るような気がします。自由で、心安らぐその作品に、絵心のない私でもニコニコしてしまいました。

会場で、さすが京都という場面に遭遇しました。一見の客がふらっと入って来て、30万もする絵をポンと買っていきました。「さすが京都」なんて訳の分からない感心をして帰った私達でした。

shige



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2002年5月10日(金) 真昼の寝言

「かあちゃんありがとう」と軽く言えばいいのに、へそ曲がりの私にはどうしてもテレくさくて言えません。

親子だから、わざわざ言わなくても解ってくれるはずだ、なんて勝手に自己暗示をかけて、その上に「心配させるくらいの方が親孝行だ。」なんて都合の良い屁理屈をこねていては、いくつになっても親孝行など出来るはずはありません。自分の短所は解っているのに、「男らしくないから今のこのままで良いんだ」という、自分の心の意固地さに負けてばかりいます。もう少し年を取れば自然に治っていくとは思われず、ますます頑固で我が儘になっていくようで、肩の力が抜けません。よってサロンパスは私の必需品なのです。(意味が違うか)

ほんの一歩踏み出せたら、きっと新しい道が開けると思いますが、なかなかその勇気が出ないのも本音です。水のように柔らかく、力強く自由に流れて生きる日が、私に果たしてくるのだろうか。自分で踏み出さなければ手に入れることが出来ないことは、わかってはいるが、一つ手に入れるために失う大きな物があるようで怖がっているのだろうか。

誰か後ろから押してくれないかな。なんて、まだ1人で歩けない、情けない、母に今も甘える私の真昼の寝言でした。

shige


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2002年5月8日(水) 忙しい夜でした

熱病のような阪神タイガースの独走もおさまり、今日などは、タイガースファンも、雨上がりの空や、公園の緑、街路樹の木々達も、心なしかホットして、落ち着いて見えます。

連休前は、とにかく早く遊びたいという思いが強く、あれもこれもと、計画が頭の中を走り回っていました。

いざその時が来てみると、天気が悪かったり、暑すぎたり、交通渋滞であったり、体力的にここ一番の無理が利かなかったり、終わってみると、思ったより遊び足りない感じがしているのは、私だけでしょうか。

とは言っても、このあとしばらくは、写真の整理や、撮ったビデオの編集など、時間がいくらあっても足りないくらい、楽しみな時間を過ごすことが出来ます。特に子供のビデオは、出来上がりをあげたときのご両親の喜びを思うと、力が入ります。

でも夕べなどは、仕事で遅くなってしまい、おまけにコンピューターの調子がもう一つよろしくなかった。(連休の間、スイッチも入れず放っておいたのでスネてるのかな?) ログキャビンで三日間一緒に過ごした若者達(6人)から、素晴らしいお花を送ってもらったので、写真を入れてお礼状を、またログニュースの更新を、とパソコンに向かったのですが、パソコンは、最後まで私のいうことを聞いてくれませんでした。

とっくに寝る時間になっても仕上がらず、とうとう風呂に入る元気もなくなり、シャワーだけ、大好きなテレビも見ることなく、倒れ込むように寝る。

今までも、何度となく同じ事を繰り返しても、まだ自由にならないパソコンにカッと腹を立てている自分を発見する。進歩のない自分が恥ずかしいけど、どうにもならないもどかしさに、この世の中に一番いらない物は、パソコンと私じゃないかと、自己嫌悪に陥った忙しい夜でした。

shige


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2002年5月6日(月) ゴールデンウイークは終わった

ゴールデンウイークは終わりました。

海外に行っていた人も、日帰りで海や山に行っていた人も今頃は、明日のことを考え、疲れがドッと出て、パソコンのスイッチを入れる元気もないのではないかと、心配してます。

私は楽しい若者とノンビリした時間を堪能しましたが、奥さんはスーパーウーマンではないかと思うほどの、忙しさでほんまにご苦労さんでした。今日はゆっくりおやすみ下さい。その時の若者が草刈りをしてくれた写真を一枚だけ載せます。明日から頭を少し整理しして行きますので、お楽しみに、

shige



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2002年5月2日(木) ゴールデンウイークの出来事

私の子供の頃は、田植えは6月頃だったように思いますが、ここ紀伊半島の南紀地方では、いつの間にか5月の連休には、全ての田圃は田植えが終わっています。台風のために早く取り入れをするようになったからだそうです。

今年の我が家は、子供達もそれぞれの休みを過ごす年齢になり、私達夫婦は、二組の友達と共に(12人+1才)4日間をログキャビンで過ごすことが出来ました。




5月4日 時々雨の中を海へ
 

太陽が一度も顔を出さないために寒く、海に潜る元気はなく、みんなで潮干狩りをする。アサリ少々取れましたが、総勢12人で食べるには可哀想なので、後の人のためにリリースして帰りました。




5月5日(晴) 二組に分かれ
 

年寄り組は那智山にお参りに行きました。今日は暑くて那智山の長い石段や、山道(岩の階段)を歩くのはかなり辛い日でしたが、那智山、青岸渡寺、那智の滝までみんな元気にあるき通しました。

若者達はログに残り、植木の選定(皆園芸の仕事をしているプロなので、)や、草刈りをして私の仕事を助けてくれました。ありがたい。

ノンビリたき火をしたりして、若さを堪能したそうです。

若者達6人は、夕方5時それぞれ、滋賀、大阪、山口、兵庫へと帰っていきました。楽しんで貰えてたら嬉しいけど、狭いログキャビンに赤ちゃんを入れて13人も寝起きしたものだから、みんな寝不足ではないかと心配してます。それぞれ素晴らしい若者達で、再会できる日を楽しみにしています。

夕方、弁当を持って岸壁に行き、夜釣りをしながら、良い空気と時間を充分楽しみましたが、12時近くまでねばってしまったので、風呂に入る元気もなく、帰り着いてすぐバタンキューでした。




5月6日(晴) ゴールデン4連休も終わりました
 

友達の家族5人は、昼過ぎ姫路に向けて一足先に帰っていきました。

後は私達夫婦が残され、静かすぎる時間をつかの間楽しんだ、と言いたいところですが、後かたずけが又大変です。又しばらくこれないので、周りの掃除、家の中の掃除、少しぐらいの大風が吹いても物が飛ばないようにしたり・・・・いつも味わう休みが終わったときの妙な寂しさを味わいながら、かたずけを済ませました。

両親に少し長いめに顔を見せてから、混んでいないか心配しながら、一路大阪へ。 こうして今年のゴールデン4連休も無事楽しく終わりました。



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