大阪暮らし11 2006年4月〜6月

4月3日(月)  河内西国第九番霊場「天冠山」 4月4日(火)  満開の桜
4月6日(木)  コンピュータは完全か? 4月7日(金)  日差しに誘われ
4月8日(土)  振り出しに戻る 4月10日(月)  苦闘の末!
4月12日(水)  昨日の無理が 4月13日(木)  今日の桜
4月14日(金)  田舎では 5月12日(金)  悲しい出来事
5月13日(土)  成瀬政博展 5月16日(火)  元気がなくて!
5月17日(水)  気弱な日々 5月18日(木)  一日って本当に24時間
5月20日(土)  ダビンチコード 5月21日(日)  私にとって老後は
6月1日(木)  高崎にて 6月9日(金)  西宮にて絵画展を
6月24日(土)  「ファイナルカットプロ」に挑戦中! 6月25日(日)  友の49日の法要に
6月27日(火)  まるでボロぎれ 6月29日(木)  老化で片付けるには?

 
2006年6月29日(木)  老化で片付けるには?

周りを見てると、どうも60才前から5年位を生きぬくのが難しい様な気がする。

自分に当てはめて考えて見ても、昨年に比べ今年はぐんと体力も気力も衰えた。こんな時の慰めの言葉として「それは老化ですよ」と言われると、「あ そうか」とみょうに納得してしまう。

長く生きたから、そこら中痛むはな、と思った方が気は楽だ。

今まで私は精神の安らぎを求めて、旅の連続だった様に思う。作者の名前は出て来ないが「山の彼方の空遠く幸い棲むと人の言う・・・・・・有名な詩があるが、彼方に幸が無いことは分かっていながらの旅でした。

見付かるなら、ここに居てここで見つかる筈。焦ってはいないが私には「至福の時」を体感することができないで、生き物のたった一つ皆が平等に持ってるものの世界に旅立つのか、それとももう少し時間が許され私の探す「至福の瞬間」をかいま見ることができるのか。

明日が分からないから人は生きて行けるのであるが、明日があると思うから自分を見つめるのを先延ばしする。

第一自分のことが自分では何にもできない、すべて嫁に頼りっぱなしの、まかせっきり。これで人生うんぬんはないわな、と思って旅に出ても考える事は「嫁を連れてくればこんな面倒はなかったのに」と、修行なんてどこかに飛んでしまって、いつ帰ろうかとばかり考えてる始末。谷に飛び込む勇気のない、だめ爺いの昼寝の夢のひとこまでした!

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2006年6月27日(火)  まるでボロぎれ

友達に預かったビデオの編集がやっと、夕べ出来た?と言うより許せる範囲に納まったと言うべきだろう。

パソコン上は綺麗なのにDVDにだしてテレビで見てみると、画像が汚い、何度やり直しても直らず、ソフトのメーカーに問い合わせたら、それはある程度仕方ないとの事、前のソフトはその点をカバーするシステムが有ったのにと、メーカーにイヤミを言っておいたので、おいおい改善されるだろうが、その時またバージョンアップのお金が掛かる寸法で、いやはや趣味とは言えど大変なのです。(大変なのはやり繰りする奥さんか?)

今日中にダビングして、フォトショップ担当の奥さんにラベルを作ってもらい、友達に送ればおしまい。

明日から又奥さんは私の退屈たいくつと言う独り言にうんざりする事だろう。

一ヶ月以上、散歩もしないで、我が気力の衰えを嘆いてます。

カッコイイ老人に成ろうと何となく思ってたが、カッコイイ人は若い時からカッコイイのであって、歳をいくら積み重ねても、カッコ良くならないことが、悲しい事だが最近分かった。

そして楽しい老後を送るなら趣味を持ちなさい、とよく言うが難しい趣味を持ってはいけませんよ!精神年齢にごまかされ、何でも出来ると思ったら、大間違いで、やっても上手く行かないので自分に腹が立つ、腹が立つので脳みそが興奮して働かない、そして眠れないー起きれないー起きても頭が働かないー失敗をするー腹が立つ・・これの繰り返しで進歩もない。

年を取ると気も長く、辛抱強くなり、ほっといてもカッコイイ年寄りになるのかと思ってる人がいたら、ちょっと待て!うっかりしたら「早よ死んでくれないかな」と思われる嫌なじじいになってしまう可能性の方が多いので、これからじじいに成ろうとしている、中年の皆さんは気をつけて下さい。うまく年をとるのも大変です!

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2006年6月25日(日)  友の49日の法要に

梅田の展望レストランより

どうも良い人は早く逝くと言うのは本当らしい、今日はその49日です。

梅田の展望レストランに故人の仁徳を偲び沢山の人々が集まりました。子供に先に逝かれてしまったた両家の母親の悲しみが、痛いほど伝わってきます。

梅田の観覧車が見下ろせるレストランは、故人がおじいちゃんに連れられてよく来ていたお気に入りのレストランだそうで、母親と姉妹が「ぜひここで」との希望で実現したそうです。

我々夫婦も49日の法要にお招き頂き、故人のおかげで豪華な食事をいただきました。家風もあろうが、故人を偲び、それぞれがマイクを持ちエピソードを話すこのような席は初めてで、話し下手な私には思ってることをうまく伝えることは出来ませんでしたが、感動的な法要でした。

私にはそんな資金はなく真似は出来ませんが、故人を忘れないで、と言う心のこもった時間でした。

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2006年6月24日(土)  「ファイナルカットプロ」に挑戦中!

「不器用ですから」高倉健さんならカッコイイ言葉ですが、腰痛のオッサンでは様に成りません。

何をするにも一つづつしかできません、今はビデオ編集だけしか手に付かず、ブログする余裕がなく、幅の狭い人生を送ってます。

友達のクラス会のビデオ編集が明日終わるめどは付きましたが、果たして土壇場で重大なトラブルが起きる可能性は無きにしもあらずで、何時もヒヤヒヤしてます。

今回も二回、かなり前まで戻ってやり直しました。慣れたアドビ社のソフトに替わり、アップル社の「ファイナルカットプロ」に挑戦、又使いこなすまで長い戦いに成るでしょう。

眠れないので夜中2時頃、睡眠薬を飲んだが、いつまでも頭が冴えて眠れない。

やがて新聞配達のバイクが通り、雀が鳴きだし、名前は分からないが、美しい声の鳥達がうるさいほど鳴きだし、1番電車が走ってもまだ眠たくならない。

ビデオ編集をやってみるが、頭がぼーとして上手く行くはずがない、こんな生活は還暦のオッサンにはやはり疲れる、お肌の為にも良くないだろうし、散歩する気力も出ない。

パソコンの前で頭と指を使ってどれだけ生きられるか?人体実験の始まりです。でも時々ふら〜っと何処かに行ってしまうので、あまり正確なデータは取れないと思いますよ。とにかく疲れた、寝たいよ〜

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2006年6月9日(金)  西宮にて絵画展を

友達の出品する、グループ展に行って来きました。

関学絵画部の毎年恒例の展覧会で作品にいきがった感じがなくて、見る方がゆったりと楽に見れて有り難い展覧会でした。

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2006年6月1日(木)  高崎にて

かまち美術館

友に勧められ山田かまち美術館に行ってきました。

17才と言う若さでエレキギターの練習中に感電死した、感性豊かな若者の作品に、しばし自分の17才と重ね合わせ、生きる意味を考える豊な時間となりました。

日本中から今でも若者が沢山訪れ、彼の作品の前で自分と向き合いパワーをもらい帰って行くそうで、彼は早世したが立派な先生として彼はいまだにここで生きていると、館長の奥さんと話こんだものでした。


大師堂

高崎「白衣大観音」、歩いてもすぐですよ!と言うので歩きだしたが、暑いのですぐに後悔が始まった。

少し足が重いが登ってしまった。関東88ヶ所と言うのもあるらしく「大師堂」があったので、四国を思い出して「ありがとうございます」となにげにお礼を言う私がありました。


白衣大観音

手を合わせながら、毎日毎日観光客相手に、白衣大観音様あんたも忙しいね、と呟いてしまった。観音様の胎内に入れるが、300円と明示してるのがシャクなので、私はもちろん素通りです。


長い長い階段の先にある、古いお寺「清水寺」(808年建立)。

朱に塗られた美しい山門です。

高崎名物

日本の達磨さんの80パーセントは高崎で作ってるらしい。

どんなに小さくても手づくり100パーセント。一軒の店のおばちゃんが何とも良い顔をしてたので、土産に一番小さなダルマさんを子供達に買ってしまいました。

奥さんのお土産はやはりありませんゴメン!

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2006年5月21日(日)  私にとって老後は

子育ても終わり、今家族五人で一つ屋根の下で暮らしているが、働かない男はよほど考えないと、邪魔者になってしまいかねません。女は体が動かなくなるまで、家庭内での仕事が途切れる事なく溢れ、とやかく考える暇はなく、男はその一部でも手伝いが出来れば家庭内で、男の居場所は出来るかも知れないが、仕事をしてた時と同じ横柄さで嫁に接したなら、たちまち「亭主元気で留守が良い」となり「消えて」とまでは言われなくても、何となく罪の意識に苛まれます。私の場合は、家族を養う義務から開放され、今まで以上に自由になり、国民総無責任時代と言う時にも恵まれ、老い先短い?私の仕上げの人生をありがたく全うするべく少しづつ頭の整理をしてるところです。お釈迦様の手のように心の広い嫁に感謝、家族に感謝の日々で、こうなったら最後まで縛られないで生きたい、変チョコリンな親父を持った家族は可愛そうにも思えるが、私は最高に良い人生だとちょっと自慢しつつ、明日からちょっと一人旅に出ます。(行き先は不明)

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2006年5月20日(土)  ダビンチコード

ダビンチ コードが試写の評判が余り良くないので、初日に確かめにきた。コマーシャルを見て皆さんはどれだけこの映画に期待をして、見るのだろうか。最前列A席の1番端と言う最高の席で?、足を自由にのばせるが、正面を見れば画面の右角下しか見えません、早く見たいので仕方なくこの席で我慢する事にして、久しぶりの映画を楽しみたいと思います。

映画は終わった。

今まで見た映画の中で「最高」のランクをつけたい。テレビを見てたら試写会を見た人のコメントで、「コマーシャルに騙された」「最後まで我慢してどうにかみた」など惨憺たる批評をしてる人がいたが、その人達は映画にいったいとれだけ大きな期待をして行ったのだろうか?キリストの研究でもしてるならともかく、ほんの千年前のことさえ真実が分からない人間社会なのに、神秘と人為に包まれた宗教のこととなったら、もう研究者でさえ分からない事が沢山ある筈です。人間は自分や組織の都合の良い解釈をしてもそれは仕方なく、キリスト教徒の人も、この映画を娯楽映画として軽く受け止め、自分だけ見に行かなければそれで良い事で、まるで宗教戦争のように激しい抗議をしたのはかえって宣伝になってしまったのではないかと思います。見てる人のほとんどは、楽しいか、眠たいか、怖いか、悲しいか、など単純に映画を楽しんでいるだけですから。そしてこんな宗教的に難解な内容の映画を見るには是非、1番前の席で見る事をお勧めします。上映が始まればもう目に入るのは端から端まで画面だけ!ストーリーやキャスト、など何にも考えず、単純に映画に入れます。楽しい映画でもう一度見たいです!その時はもう少し後ろの席でね!

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2006年5月18日(月)  一日って本当に24時間

朝食はヨーグルトと半分の食パン、歯を磨いて、ケージに入れられてる、オス猫の「ルー」を抱っこ(なりより抱っこ好き)嫌がるのをダマし、ケージに戻し、まばたきをしたら、もう昼になってる。昼食をして、散歩して、上見て下見たらもう外は暗い、夕食の後は「くだらん」と言いながらのテレビ鑑賞?こうして一日が過ぎてしまい、その速さはまるで新幹線並で、全て自分の時間だと言うのに、何とも下手な時間の使い方か?いいや、人生の終焉はこれくらいノンビリで良いのかも知れない。いくら焦っても人並みの域を出る事は無いだろうし、人並みの生涯を送る喜びを見つける事が出来たのがメッケモンだ。今日は二人で昼前にマッサージに行って来た。嫁は足のしびれで、私は腰もだが例の足の痙攣の相談をしてみたら、どうやら骨盤がズレてるらしく、ゴリゴリ バリバリとやってもらったら、ビックリするほど軽くなった。癖になってるから又戻ってしまうらしいが、これでしばらくストレッチを続けてみて、まだ痙攣が続くようなら、その時は脳ドックを受ける事にしよう。

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2006年5月17日(日)  気弱な日々

毎晩では無いが、三年程前から、足先がいつまでも冷たく、やっと暖まったら今度は足の痙攣がはじまる。それは全身がガッシャンとなる感じの激しい痙攣で、初めは座れば治っていたが、最近は立ち上がるしか治療法がなく、眠れないから睡眠薬を飲む、そんな夜を過ごしていた。これはもう脳ドックに行くしかないか?と覚悟してインターネットにつないで、病状をチェックしてみたら、大きな理由はどうも老化らしい?体操とマッサージで改善出来るようだ、脳が悪かったら諦めるとして、脳ドックには行かず、まずストレッチをやってみよう。結果は報告しますが、うまく行くと思いますか?

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2006年5月16日(火)  元気がなくて!

何だか肌寒く、友の死もあって元気が出ず、昨日は腰も痛いので、気晴らしをかねて久しぶりにマッサージに行ってきました。六十才と言う年齢を体は正直に訴えて居るのに、脳みそにはまだまだその情報が伝わらないのか?「おかしいな」と言う程度の自分への甘い自信と、まだまだ早いと言うアヤフヤな期待が私の今に、希望と勇気を何となく与えてくれる。惜しまれて死んだ友をみてると、長生きだけが良しとは思わぬが、少し見え隠れするその明かりの又その先を確かめたい、そんな欲望もあり、この平安な日々の行き着くところが見つかるならば見てみたい。

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2006年5月13日(土)  成瀬政博展

毎週「週刊新潮」の表紙絵を描いてる成瀬さんの原画展に奈良の「アートハウス チヌ」に出かけてきた。初日は本人が、長野から来てるのが分かっていたので、いそいそ出かけ彼を囲んで長い時間話しこんでしまった。博学な彼の話しに私の薄っぺらな人生感、出版社の社長の説得力ある話しに時間の経つのを忘れる始末で、最後はやはり奥様方の「男はダメネ」のしめ言葉でお開きになりました。欲しい作品は何点もありましたが、目の保養に留め帰りました。ありがとう!

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2006年5月12日(金)  悲しい出来事

今日、同級生の奥さんが、癌で亡くなった。可愛くて勤勉で賢く私から見れば何一つ落ち度のない素晴らしい奥さんでした。孫の顔を見る事無く母親を残しての旅立ちはあまりに悲しく、2月再入院の時「今度の治療は前回より長くなりますが、必ず元気で帰ってきますので、たいそうになるので、お見舞いは来ないで」とあっけらかんと入院したのに、自宅での寝顔はまるで寝てるだけではないか、と思える程のかわいい顔のままでした。私より若いのはもちろんだが、今年になって二人の大事な友達が奥さんに若くして先立たれてしまった。政府は「高齢化社会が来るから大変だ」と我々貧乏人の生活を切り捨てる政策を、どんどん推し進めているが、こんな事が続くと果たして本当なのかと思ってしまう。気が付いたら年金をもらうことなくみんな死んでしまっていた!そんな気がして来ました。みんな長生きして高齢社会を楽しみましょう。そうでないと早く逝ってしまった人がかわいそうです。YOSHIEさんありがとう君は立派な子供を二人と我々に素晴らしい想い出を残してくれました。

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2006年4月14日(金)  田舎では

田舎の田んぼは田植えの準備が整い、蛙の合唱が賑やかです。


芝桜

桜は散ってしまったが、ツツジやシャクナゲ他にも草花は美しく咲いていて、今年は良い時に来たものです。

大好きなササユリも随分増えました。


しゃくなげ

自然に生えたツツジ

とうだい

この辺では「とうだい」と言ってどこにでもある、山ツツジだが、これはとても貴重なとうだいです。彦根を通りかかった時、道路工事で燃やされる運命だったのを、死ぬほど重たい目をしてここまで運んだ一本です。

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2006年4月13日(日)  今日の桜

散歩コースのいつもの桜は、まだまだ綺麗に咲いてます。階段に散った花びらも美しいものです。鳴き声の練習をするウグイスも、上手になってます。

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2006年4月12日(土)  昨日の無理が

このところ毎晩睡眠薬を飲む癖がついてしまった。が今夜は何時に成っても、あの吸い込まれるような睡魔がやってこない。

それもそのはずで、今日は一日中まるで布団の一部になったのではないかと思うくらい布団と合体してボロギレのように寝ていた。

起き上がれなかったせいで、きっと体力が回復してちっとも疲れてないのだと思うが、からっぽの脳がクーデターを起こし、時々足を痙攣させたり、足の末端に血液を送らなかったり、恋もしてないのに胸をドキドキ高鳴らせたりと、更年期の反抗をしてるのだろう。

別に無理矢理眠ることは無く、それならと起きて昔を回想してみるが、あの時の旅はあれの前だったか後だったか、どうしても思い出さない、悲しいボケの始まりか?

このままでは家族に親父の最後まで突っ張った生きざまを見せられない、計算がちがってしまっては格好悪いな!

嫁にかまって貰いたくて、あっちこっち悪いところを探して「もう永く生きられそうにない」て気を引いてみるが案外20年位軽く長生きしたりして?

最近田舎で親より早く逝った若者を二人もみたので、親の哀しみの一番は何だかを知った。たった一人残った母親よりとりあえず長生きしようぜ、と脳に命令しているところです。

だから弱々しい事ばかりで、楽しい事を書かない最近の私を心配してくれる関係者をヤキモキさせていますが、これは生きるためにも、後に続く人達にも大事ではないかと思い、老いる記録を少しでも残せたら、と考えて少しオーバーに書いてるだけで、心配するほどのことは何もありません。

案外子ども達が「マダカヨ〜」なんてことを言いだすほど、長くこのブログが続くかもしれませんよ。

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2006年4月10日(月)  苦闘の末!

新しい事に挑戦するのは、大変な歳になりました。

今までアドビ社のプレミアでビデオ編集をしていて、やっと少しは慣れたか?と思ったところ、マックが自社で「ファイナル カット プロ」と言うソフトを出した為に、アドビ社はバージョンアップをウインドゥズ版しか出さなくなり、我がマックとは何だか相性が悪くなり、泣く泣く新しいソフトに挑戦する事になった次第!

やり方はプレミアのパクリの感があるので使いやすいと子ども達は言うが、パソコン用語も分からない私には、三冊もある分厚い取説はチンプンカンプンで、まだまだ長い編集は無理なので、頭と尻の字幕の部分だけ練習を兼ねてやってみた。

慣れると便利な部分も沢山ありそうで、今後はファイナル カットプロでやる事に決心したものの?30秒ほどの編集にパソコンの前で二日くぎづけだった。

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2006年4月8日(土)  振り出しに戻る

ビデオ編集は完了して、8枚のDVDとVHSにダビングして、テレビでもう一度見てみると、字幕がチラチラして読みにくい。

こんなに悪い事は初めてで、もう一度少し手直ししてみたが、今度は画面がボヤケた感じで、やはり気に入らない、どうもパソコンの調子がおかしい!と言う以外、原因がどうしても分からない。

もう一度初めからやり直しをする事にした。今まで使っていた、プレミアがおかしいので、この機会に新しいソフトに切り替えて見ようと思うが、馴れるには二、三ヵ月かかるだろうな!あぁ〜あ胸が痛い!

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2006年4月7日(金)  日差しに誘われ

散歩コースで初めてタヌキを見た。暖かい日差しにタヌキも気分良く散歩にきたのだろうか?知らんぷりして近づき写真を撮ったが、ピンボケだろうな?

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2006年4月6日(木)  コンピュータは完全か?

ビデオ編集は終わり、ムービーに書き出す段階になったが、何度やっても同じところで「トラブル発生」それも一時間以上待って、後二、三秒で終わる時点で画面が消えてしまう。

今古いパソコンに代えてやり直してるが、古いだけに4時間もかかる。

編集は私の感性で係わる事が出来るが、その後のムービー化そしてDVDに焼く仕事はパソコンが勝手にやって仕舞うが、そのパソコンの調子が悪くなったら、もう単なる邪魔な電気箱だ。

思う様に行かないこんな時、私の我がまま性格に腹が立つ、パソコンだってわざとやってるので無く私の頭と同じ混乱してるのかも知れない。

思えば私など混乱しっぱなしだ。

私の生をどう生きれば満足して終われるか、コンピュータなら明確な答えを出してくれるだろうが、私の頭脳はどうやらまだまだ、あっちふらふら、こっちふらふらと迷走を続けそうだ。

考えて見ると楽しい迷走なのかも知れない。コンピュータの答えは0点か100点かで真ん中の50点が無い、人間は50点の生き方が出来れば上出来の方で、不満足で一生を終える人もいると思う。

望まれて生まれたとしても、意識を持って生まれたのでは無い分、死ぬ時は世間にでなく、自分に「お前はよく生きた」と言える様に生きたいとつくづく思う。

人類史上こんなに急速に発展したことは無いだろうが、果たしてこれで良いのだろうか?

誰にも止められ無いだろうが、このまま人類は気が付いたら滅亡していた、なんて事になっているのではないかと、要らぬ心配をしている自分がいて、そんな事よりもっと大切に自分を生きよ、と叱咤激励し、何とか自分が生きた意義を見つけられたら、とコンピュータに向かって探し続けてます。

人間界での私は最高の家族と友達に恵まれ、ゆっくり考える時間もつくる事ができ、一個の人間としてはこれ以上の贅沢は要りませんが、どうにも成らないのが、コンピュータであり、使いこなせない自分を棚に上げ、このままではコンピュータに私だけでなく、人間が支配され やがて、地球はコンピュータに亡ぼされるのでは?と確信ににた心配を、コンピュータとの昨日からのトラブルがもとで一気につのらせています。

その時ウルトラマンは地球防衛に本当に来てくれるのでしょうか?


私の秘かな桜の観測木、観音寺の桜は今日が満開です。五本の大木はすべてが咲き揃いました。

おりしも今日は小学校の入学式、ビデオを構えた母親がかわいい子供を桜の木の下で歩かせ撮影してました。

この光景がいつまでも続くことを、世界の権力者とコンピューターにお願いするばかりです。

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2006年4月4日(火)  満開の桜


いつもの私の?桜は、寺の白壁を隠して仕舞いました。私が座って休憩してる周りを嫁は「若者だから!」と、無理をして走り回ってます。

写真を撮りながら嫁 いわく。「美の競演だそうな!」私いわく。「桜はひと時だが、私は一年中パッパラパーと咲いている。」

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2006年4月3日(月)  河内西国第九番霊場「天冠山」


我が家から見える山の1番上にある「観音寺」散歩コースの1番高い所にある寺の桜も、昨日散歩を休んだだけで随分咲いて仕舞いました。寺の白壁が見えなく成るのももうすぐ!

昨日は瞬間であったが、凄い雨で我が家の裏の廃水が溢れそうになった。こんな事は初めて!

夜になって長男が「胸が苦しい」と言い出し、市民病院に行きレントゲン、血液、CTなど検査してもらった。勿論こんな事も初めてで、若者の付き添いで病院に行くのは辛いものだ。

結果はまだ分からないが、初見ではたいした事では無い感じだが、子供の心配を想定してなかった私だけに、思わず落とし穴に落ちた、迂闊さをしみじみ感じ、朝 子供の元気そうな顔を見て、ありがたさを感じ 何時もの「寺」の桜に感謝している私がここにあった。

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