・・・ヨット造りの工程3・・・

1971年(昭和46年) 7月4日


手すりも出来、「いなんくる」の船名も入り、一人前の我が相棒。
今度は、鵜殿(熊野川)の川原で知り合いのクレーンで海に降ろしてもらうため(クレーン代も高いので)三重県に向かう我々。

こんな大きなクレーンで降ろしてもらう。
熊野川の川口から海にでるとき、横波を受けてしまい、マストが海面に着くぐらいの傾きを経験する。なかなかのスリルであった。


海にでたらみんなのんびり釣りを楽しんだり、
貝を捕りに潜ったり、もちろんセーリングは一番楽しい時間。

風と波の音だけの世界。



海でよく遊びました


一夏でびっしり付いたカキを落とすのも、大変な仕事です。
海の上では見ることのない船底。でもこれも大切な船の仕事です。

海のことを何も知らない者が海で遊ぶのだから、思えば、ほんとに無茶をしたようです。

台風が来るたびに、海水浴場の沖合に繋留していたヨットを、安全な港に避難させなければなりません。台風が発生するたびに、大阪から汽車に乗り駆けつけました。

2度ほどは、ほんとに命が危ない目に遭いました。船を避難させる時間が遅くなり、台風が近くまで来てしまい、港中の漁師が心配して岸壁に並んで見守る中、どうにか港にたどり着いたことが、1度ならず、2度もあったのだから、今にして思えば、ほんとに命知らずのアホだった、の一言です。

でも、夏などはほんとに毎日楽しかったです。当時の海はもっときれいで、貝も魚もいっぱいあり、今思えば紀州は楽園でした。

遊ぶことに一生懸命で、仕事で名をなすこともなく今にいたり、世の中のほとんどの人は、私の生き方をバカな人間と思うかもしれませんが、私はそれを楽しみ、家族も私の生き方を否定しませんので、、、、

こんなんでええんじゃないですか。


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