ヨロヨロ旅行記 中国5都市周遊 8日間の旅 2009年3月15日(日)〜3月22日(日)

1ページ/2ページ/3ページ/  旅行記トップ/トップページ

●6日目 3月20日(金)  蘇州→上海

ホテル近くの(日本語では字がない)門

今朝は一人で散歩にでた。

夕べホテルに入る時ライトアップされていた「?門」が気になったので来てみたが、朝のラッシュなのか?車がどんどん来て危ないことしきりだ!

そこを過ぎると古い町並みに出て、庶民の生活をかいま見ることができた。


朝の路上で野菜を売るおばさん

路上で野菜や食べ物を売る屋台が出ていて、朝から油で揚げたものなど若いお嬢さんが食べているのを見かけたが、その胃袋の丈夫さ、舌をまくほどの食べっぷりに「中国の偉大さ?を痛感した想いだった」


朝の散歩で見つけた杭と太鼓橋

朝の散歩で見つけたケンタッキー

朝の散歩で見つけた八仙群雄像

高速道路の事故渋滞

ファミマ

観光客がまだ来てなくて静かな公園や、繁華街にも足を踏み入れたが、どの店も閉まっていて開いてる店は「ファミマ」くらいだった。

道路は車と通勤客が足早に通りすぎて行くばかりで、私一人がウロウロと怪しい足取りであちこち覗いて歩いた。


朝の散歩で見つけた太極拳

そこここの公園ではお年寄りが太極拳をやるべく集まっていたが、私が行った大きな広場では、水色の服を着た先生とおぼしき人を中心にもう始まっていたので、私も後ろの方で見よう見まねでやってみたら、テレビで見るより案外楽に出来る。

調子に乗ってやってると、気がついた人が振り返り「熱烈歓迎」の意思表示をしてくれたので嬉しくなってしまった。

腕時計を持たない私はホテルに帰る時間が気になったが、店が開いてないので時計をチラ見できない。

そこで初めて携帯電話に気がつき、電源を入れてみたら、おどろいたことにすぐにメールが入って来たではないか!

「中国人も迷惑メールがあるんだな?」と、いぶかりながら開けてみると、ドコモからで、「なな何と!」この携帯で日本に電話がかけれるそうだ!

そしてどこで見ていたのか、私が中国に居ることをちゃんと知っていて、日本時間と現地時間が表示されてるではないか!

海外の設定も申し込みもしてなかったので、メカの発達には驚きのシゲ爺でありました。さっそく嫁に電話したのは言うまでもないし、メールもやってみた。どちらも何の問題もなく、当たり前だが国内にいるのと同じだった。

でも料金は家族割りは出来ないし、メールでも双方で料金が発生するので、余程の事件が発生しないかぎり便利なアイテムとして持っているだけにした方が身のためのようだ!


七宝古鎮にて

さて最後の都市「上海」へは、高速で一時間ほどで着いたがその後が大渋滞、とにかく車は我先に頭を突っ込みあい、渋滞に拍車をかけてることに気がつかないのだろうか?

イヤイヤそういう民族だと、うすうす私も分かってきた。

何しろ政府があまり当てにならないから、「とにかく今、自分が良ければ良い!」と思っている、そんな気がしてならない。


七宝古鎮で演奏する二人

上海の街は高くて美しいビルがぴょんひょん建っている。

何しろ地震が無いらしいので、きゃしゃで、やたら高くて、デザインが素晴らしいのが特徴である。

そして来年の万博を目指して、取り壊された広い空き地が、至る所にゴロゴロあるのも驚きの景色である。

「新しい上海は毎年変わり、古い上海はいつまでも変わらない」そんな不可解なのが中国の国民性なのかも?


焼き鳥売り場

たこやき屋(甘いそうだ)

サトウキビの皮を剥いている

日本人街の居酒屋

上海「新天地広場」

昼食の四川料理はさすがに辛く、かなりの量が残ってしまったが、ガイド氏によると「日本人向きにかなり辛さをおさえてます」だ、そうです。

何かを見ようと老眼をかけたが、字がかすんで見えない?

「あ〜ぁ!とぅとぅ眼の悪さもここまできたか」と、あせったが、冷静になってよく見てみると、レンズが片方なかった?

シゲ爺のプチちょんぼで笑ってしまった。


上海「新天地」映画のポスター

上海「新天地」オープンカフェ

船上レストラン

船上レストランの内部

この夜、シゲ爺の最大のチョンボがあって、あせってしまった。

例により夜はオプションの雑技団見物が組まれていて、私の相部屋の高見さんが出かけたので、残された私は1時間ほど時間が余り、退屈でもあるので、上海駅に遊びに行くと言うご夫婦に、途中まで夜の散歩に付き合って行くことになり、歩き出したら私の悪い癖が出て来てしまい、ズルズルと上海駅まで行ってしまった。

途中の道筋は裏町そのもの、スリルと哀愁に満ちた楽しいものでした。シビレながら上海駅に着き、まだ遊んで帰るご夫婦と別れ、一人ホテルに帰ることになった。


淡水真珠の巧みな売り子さん

上海駅

でも30分ほどで帰らないと、雑技団見物から帰った高見さんは部屋に入れず(私が鍵を持っている)、大変な迷惑をかけてしまう。

来る路が30分ほどかかったから、急いで帰らないと間に合わない!

しかし、来る道はどうも遠回りしていたように思ったので、近道に思える、来たときとは反対方向の、直線とおぼしき道を帰ることにした。

そして、急いで歩いて行ったが、なんと、10分ほど行ったら川に行き当たってしまった。眺めてみても橋など無い!街灯などもない真っ暗な川筋で、汗が吹き出してしまったがどうすることも出来ない。

何しろお金は(元)一銭も持っていないのだから、タクシーにも乗れない(旅行者は一人でタクシーに乗るのは危ないらしい)

真っ暗なので、一瞬悪い想像が脳裏を駆け巡ったが、とにかく帰るしか無いので、元来た確実な道を帰ることにして、スタート地点の上海駅まで戻った。

その時点で9時50分!もうどんなに急いでも10時には帰れない!

まるで競歩みたいに歩きどんどん人を追い越して急ぐ、怪しいシゲ爺を奇異な眼で見る人も居たが、警察官の職質を受けることもなく、汗だくになりながらどうにか無事ホテルに着いた。

はたして高見さんは、ロビーでポツンと待ってくれていて、嫌みの一つも言わなかったが、20分以上も待ってくれたはずだ。

高見さんに迷惑はかけたが、私にとっては、思い出深い、スリリングで面白い90分のヨロヨロ旅になりました。


●7日目 3月21日(土)  上海滞在

7日目 この旅初めての雨!

今日のホテルのサービスは最悪である。便座のお掃除シールには、日本語で「消毒済み」なんて紙が貼ってあるのに、フロントはボ〜とした若者が何人もいるのに、誰一人片言の日本語すら話せない。「おはようございます」と「こんにちは」ぐらい勉強しとけよ!と言いたいほどだ。

何しろ共産主義の悪い所を見事に実践しているようだ。一生懸命しても給料は一緒だとばかりに何を言っても知らんぷりしてやがる。

マネーチェンジをしてくれと頼んでも、ノーマネー!と言って取りあわない始末で、何人も挑戦したが、誰も替えてもらえなかった。

日本人は敵だ!と言う教育が、このホテルの若者には見事に効果があらわれているようだ。これでは「お前達日本人は中国でお金を使うな」と言ってるようですが、今回の私の旅のテーマである「中国元は使わない」と言うのと、見事に合致したので、この若者は私を応援してくれているのではないかと善意に解釈して私は一人で笑ってしまった。


タロン路の内山某氏の像

タロン路を散策(ただ通り過ぎた感あり)この辺は、戦前は日本租界があったそうで、「内山某氏」のブロンズ像があった。


タロン路のチャップリン像

なぜかチャップリンの像のある映画館があったりして今も文化のにおいがする一郭であった。


タロン路通り

街は至る所、外壁の塗装や修復で、竹の足場が組まれ、景観が悪くかなりごちゃごちゃしていて、真新しいビルはデ〜ンと空に届けとばかりにそびえ立っている。

その横には更地がありと、まさに活気と喧噪と廃墟と化した上海の街をバスの窓から眺めながら、来年は人だらけでダメだが、再来年来たらスゴい街になってるよ!と、中国通が教えてくれた。

しかし「もうイヤ!」と言うのが私の感想です。


上海博物館

上海博物館見学も忙しく、皆さんが整列してる所に、私がガイド氏に首根っこをつかまれ登場!(うそですよ!ガイド氏が私を探し回り、向かえに来てくれたのです・・・)


上海博物館の展示品

上海博物館の展示品

上海博物館の展示品

上海博物館の展示品

上海博物館の展示品

上海博物館の展示品

南京路の歩行者天国

南京路では初めて時間がありあまるほどの自由時間があった。

この人の渦の中で濃厚なキッスをしているカッコ良い若者カップルがいて、変わりつつある中国をみたようで、嬉しくなってしまった。


喫茶店にテレビカメラが入って来た

高見さんのおごりで、この旅初めての美味いコーヒー(上島コーヒー)を飲んだ。

のんびりコーヒーを飲んでたら、テレビのカメラが入ったので、落ち着かなくなり帰ったが、今日は3回も違うテレビ局の、食べ物の取材のを見ることになったのは、やはり上海が注目を集めている証拠かもしれない。


南京路で仲良く

夜は景色が一変

昼間の上海タワー

夕食は上海老街のハデハデのレストランで北京ダックこそ無かったが、上海ガ二(小さいが旅行費用を考えるとOK)付きの、この旅の最後のそれなりに豪華な食事をする。 そして中島さんから、我々の「テーブルの皆さんに」と美味しいパイが差し入れされた。美味いパイを食べたからではないが、名残惜しい最後の晩餐になった。


上海の夜景

夜は又オプションの「ナイトクルーズ」(3000円)に出かけた。

これは異国の情緒があり「終わりよければ全てよし」を実感した素晴らしい夜になり、明日の出発まで何事もないことを祈りながら満足のベッドに入ったのでありました。


飾りの店

夜景

上海タワー

もりビル(今は上海一高い)

●7日目 3月21日(土)  上海→関空

連泊なので朝食のお粗末さは分かっていたが、行った時間帯が悪かったようだ。チベット人とおぼしき団体が、バイキングのテーブルを占拠し、大きな声で怒鳴り合っている(普通に話しているのだろうが、私には喧嘩にみえた)。

私が皿を持って料理を取ろうとしても、どこからか手が伸び油断ができない。

皿を持って食べながら料理を取る人あり、山盛りに取り過ぎ、皿から料理をこぼしながら歩く人ありで、それは一昔前の日本人を見る想いでした。


工事中のビル

さあーいよいよ日本に帰る時間になりました。

ツアーのガイドさんには言いたいこともあるが、ここはそんな場所ではないので、楽しく旅の終わりにしたい。


上海空港

上海空港

ツアー参加の皆さんは世界中を旅していて、旅慣れた人ばかりの中で、私一人が、せいぜい嫁との二人旅で、団体旅行の何たるかをわきまえず、常に迷惑をかけました。

なのにこの変な爺の行動に寛大に笑って許していただき、本当にありがとうございました。

何のトラブルも無く出国手続きもすみ、搭乗!

機内アナウンスは「本日は気流が悪く飛行機は揺れる予想ですが、フライトにはなんの支障もありませんので、ご安心して下さい」なんて言ってるではないか?

この飛行機もトンボに羽のはえた程度じゃないか!何て心の中で叫んで、覚悟をしたが、案に相違してほとんど揺れなかったのは、嬉しい誤算と言うべきか!

ほぼ日本人で満席の飛行機が関空に着いた時、拍手をしてる人がいたから、怖いのは私一人ではなかったと内心ホッとしたものです。

機内食の時、今までの胃の消毒もかねて、ワインをもらって飲んだのが、関空に着いても酔いがさめず、真っ赤な顔をしてカメラの前を通ったので「体温計」が反応しないか一瞬心配した。

荷物もすんなり出て来てメンバーのどなたにも挨拶もせずに出てしまったことを残念に思ってます。

一人旅になれてしまってるので、勝手気ままな行動が最後の最後まで出てしまいました。

メンバーの皆様でこの記事を見てくれてる人がおりましたら、その点分かっていただきたいと思います。そして私の暮らす南紀に遊びに来てください。お待ちしております!

トップページへ  前のページへ  旅行記トップへ