リタイアからの出発

ヨロヨロ旅行記 一人旅 信州編 2004年11月2日(火)〜11月5日(金)


11月2日 小さい一人旅に!
出だしはあまり良くなかった。マッサージに行ってからと思い、行ったら入りきれないほどの待ってる人がいたので、あきらめてトヨタで新しいカーナビのソフトを買おうと、回り道したら定休日!今日はお金を使うな、と言うことらしい。あても無く走りだしたらやはり、北に向かっていた。どうも北の方が好きらしい。友達も北の方がずっと多い。名古屋でどっちに行くか?悩んだが、車の多い道は楽しそうで無いので、信州に向かってます。長野でも地震はよく揺れていたそうなので、木曽路を少し楽しみ、どこかで釣りをして帰りたいな!なんて
松本城
11月03日 早朝の松本城 白鳥に餌をやるおじさん
早く起きてしまったので、松本城まで走り、公園の中で仮眠する。おかげでほとんど人のいない美しい松本城を静かに見ることが出来た。今日はイベントが有るらしく、広場にはなにやら用意がしてあった。
松本城
早朝の松本城 からす城とも呼ばれている
松本城
思ったより小さいがバランスの取れた美しい城
松本城
我がヨロヨロ号と松本城

信州は、どの方角を見ても山が美しく、又来たくなる

 
紅葉
山が金色に光っています
11月04日 寒くて目が覚める!
3時「よろよろ号」の旅が始まって寒さのために初めてエンジンをかけて寝る。だがなかなか部屋が暖かく成らなくて、凍えてしまった。リヤーの方は暖かな風が来ないし、エンジンの回転はなかなか下がらないし、すっかり目が覚めてしまった。
夕べの寒さは何だったと言う暖かさだ。窓を全開して走ってます。新潟の被災者は毎日あんな夜をこれからあじわうかと思うと、次のコンビニで募金します。写真はもうすぐ冬を知らせる紅葉風景です。
紅葉
葉を落とし冬支度の整った木々
紅葉
美ヶ原頂上への九十九折りの道
紅葉
美ヶ原頂上
紅葉
美ヶ原頂上付近の牧場、もう牛は冬でいません 
紅葉
梓川より北アルプスを望む
北アルプスだ!
富士山は美しいが、北アルプスの山々は若い頃を思い出させてくれる、力強さがある(これでもアルピニストの赤ちゃんだった)もうこの辺はうきうきの連続だ。写真は梓から見たアルプスの山々の一部!
紅葉
梓川のダムの紅葉
梓川の「水殿ダム」での紅葉!もうまいって仕舞う。憧れの「野麦峠」は通行止なので158号で「案房峠」を超えて高山に出ます。有料のトンネルは有るらしいが、あえて峠超えをします。 梓川のなんとダムの多いことか?トンネルの多いことか?自然をこんなに壊したらあかんわな!おかげかなんかは知らんが、いつの間にか岐阜県に入ってしまった。安房峠の入り口は見つからず、自然に有料に入ってしまった。悔しいがもう一度戻るきにもならず、野麦峠と共に次回の楽しみに!
山下
飛騨高山 山下清展 
高山にて!
山下清展を高山本町美術館で見る。600円ですごい見応えのある展示で満足!!
飛騨高山の千光寺
  

私の大好きな円空仏がたくさん見ることが出来ました。私が円空のファンでなかったら見逃してしまうような小さな山寺でした。

大好きな円空の仏像に会える。「千光寺」に行く長い山門の途中に五本杉(国の天然記念物)が在ったので、来れない人のために写真を撮って来ました。
千光寺
千光寺
千光寺
千光寺 天然記念物 5本杉
千光寺
千光寺 天然記念物 5本杉 
千光寺
千光寺
千光寺
千光寺 本堂 
千光寺
千光寺
千光寺
写真を撮らせて貰えたたった1枚の円空仏 
千光寺
千光寺
千光寺
千光寺  
千光寺
千光寺 
千光寺
千光寺 本堂より仁王門
千光寺
千光寺 仁王門より本堂
千光寺
千光寺 
千光寺
千光寺
千光寺
千光寺 
千光寺
千光寺
せせらぎ街道と名付けられた158号線は、この前の台風のためか至る所があれていた。かなりの部分が流され家の下が川になっている新しい家を見た、気のどくで写真を撮ることは出来なかった。川の上流は青々とした緑で、紅葉し、葉を落とすことのない、杉や桧である。その上車のわりに立派な道路の上を高速道路が走っている。いったい俺達は何のために高い税金を払っているのかと思ったりして、もう一つダムだってそうだ!安全なんだと言うなら住宅の真ん中に作ればあんな送電線なんかも要らない、そうなったら私はすぐ田舎に逃げますがね。 
白川郷
道の駅白川郷
白川郷
さすが屋根は、本物の茅葺き 
白川郷
白川郷と五箇山の途中にある
白川郷
岩瀬家 最大の合掌造り 
11月05日 五箇山にて!
雨が降りそうなので、私にしては早い出発だった。7時に世界遺産の「菅沼合掌造り集落」に着いてしまった。もちろん誰もいないし資料館などは閉まってる。個人の家は日常の朝が始まっているが、「おはようございます」と早くから観光客に声をかけられるのは、迷惑なのは目に見えている。第一寒い!写真を撮って車に避難したところです。
 
白川郷
世界遺産 五箇山の菅沼合掌造り集落
白川郷
世界遺産 五箇山の菅沼合掌造り集落 
白川郷
世界遺産 五箇山の菅沼合掌造り集落
白川郷
世界遺産 五箇山の菅沼合掌造り集落 
白川郷
世界遺産 五箇山の菅沼合掌造り集落
白川郷
世界遺産 五箇山の菅沼合掌造り集落 
白川合掌造りの里!山行をしていた若い頃より何十年ぶりにここに来ました。あの時は立山の帰りに富山からバスできたような気がします。こんなに家がいっぱい在ったかな?なんて思いますが、私の何倍も生き続けた家がここにはあります。
白川郷
白川郷
白川郷
白川郷 
白川郷
白川郷
白川郷
昭和42年白川郷に行ったときの私 

自分の時間が出来ると言うことが、こんなに素晴らしいことなのかと、日に日に感じている。

今回の小さな一人旅は、山が美しい信州だった。若い頃仕事で何度も通った、松本や高山を、自分の中では贅沢なくらい時間をかけて過ごすことが出来た。

他の旅行者は、計画的に下調べをしたり、旅行会社に任せたりして、上手に無駄なく観光地を巡るのであろうが、私のは、行き当たりばったり、「あ!こんなところにあるのか」という、発見の旅である。

だから、自分の気に入ったところや、物や、人間に出会ったときの喜びはひとしおである。そんな私の今回の旅は、自分の目で見る旅そのものだった。

松本城と、美ヶ原は知っていたが、山下清展や、円空の仏像は、今の私にはどちらも必要な出会いであり、受け入れる「余裕」が出てきた自分が感じられて、又少し自分が好きになった。

世界遺産の白川郷の旅はおまけである。こういう無駄が人間生きるのには大事なのかな?なんて思う。でも、あの美しい山々の中を、ほとんどトンネルと橋桁で出来た、高速道路が走っている。、美しい山の中に・・突然・・現れる新しい高速道路は「アシュラ」の4本の手を連想させた。「手は2本で良いのじゃないか」それが自然なのではないか、凡人の私は何時もそう思っていた。

50年60年とたって古くなったとき、この橋桁はどうなるのだろうか? 自然を壊しすぎたのではないだろうか。仕事を持たず、家族を養う必要の無くなった男は、″人間がこの地球を壊してしまうのではないか″なんて、とてつもない心配をしたりしています。それほど人間は馬鹿ではない、なんて言う人もおりますが、「過去」の「歴史」を見れば、馬鹿なのが人類なのではないかと思います。そんな心配をふとしながら、美しい山にさしかかると、この前の台風の被害の大きさに愕然とさせられた。「せせらぎ街道」と名付けられた道沿いの、想像を絶する被害を目の前にして、人間の非力を感ぜずにはいられませんでした。「今年は特に雨が多かった。」そんな言葉で、自然と関わっている人はかたずけないでほしい、何処か間違っているのではないか、そう強く思いました。

何処かの偉い政治家が、テレビの前で「100年先でも大丈夫な政治を目指しています」なんてことを言っていたが、あの柔らかいサラサラの水の怒りも静められないのに何が大丈夫なのですか?と言いたいが、素浪人の私の声などどこにも届かないであろう。

千光寺の募金箱には「かわいそうにと言う施しの気持ちではなく、自分の願いをこめて募金してください」というようなことが書かれていました。今どこのコンビニでも世界の子供達のためか、新潟地震の救済の募金箱が置かれています。私も今までは「このお金が本当に困った人に届くのだろうか」と思っていましたが、この言葉にふれてからは、こんなに自由に旅が出来る自分と自由に旅をさせてくれる家族に感謝して、コンビニを出るときは少しずつではありますが、ありがたく募金箱に入れさせていただいています。

もう少し人間は自由な時間と柔らかで優しい心を持ちなさいと今回の旅はそう教えてくれました。



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